リビアの最高指導者カダフィ大佐が、反カダフィ派に拘束され亡くなったと聞いた。
ついに、そうなったか・・というのが実感。
ついこのあいだ、死刑は賛成か反対か、というコラムを書いたのだが、
双方の議論を戦わせている人たちがいる。
「一個人の命は、犯罪者であっても、決して何人たりとも奪うことはゆるされない。」
といえば、「被害者の心情を考えれば、死刑相当の犯罪者は死を持って償うしかない。」
という争いである。
私は、どちらかといえば、死刑はしかたないと考える方。
なぜかというと、反対派の意見で、「自己実現を考えると、「ゆるし」ということへの
理解が必要。そのうえで、犯罪者も最終的にはゆるさなければならない」とあった。
それはそれで、すばらしい意見だが、なかなかそれはレベルが高くて、
我々のような凡人が、おいそれとは理解できない。
つまり、悟りを持って理解できるものを、法律として定める事へ、私は乱暴だと思うので、
死刑は致し方ないとの意見だ。
・・・・・なんで、こんなことを書いたかというと、人に責任を死を持って償わすということを、
死刑問題では、とやかく議論をしているが、世界的に考えると、もっと、簡単で残酷である。
今回のカダフィ大佐もそう。また、先日のアメリカがしたオサマディンラビンにしてもそう。
世界は重犯罪と理解したら、殺すことが前提だ。
そして、そのことを問題だというムーブメントは起こらない。黙認しているのだ。
だとすれば、倫理的な考えはともかく、人間の心情からすると、死刑は受け入れられている、
といっても言い過ぎではないでしょうね。
そういや、日本も戦国時代があったな・・・。仇討ちなんかが認められていた。
昔から、なかなか悟りは開け亡かったのでしょうね・・・。