「コミュニティ政策学入門」 監修者:坂田周一/編者:三本松政之、北島健一
以前、市政の「まちづくり」に関わり
都市型産業(コミュニティビジネスとも)の導入期の担当だったこともあり
昨今の日本、いわき、磐城地域に疑問も感じるので
古本屋で購入しました。
コミュニティに内在、外在する社会問題や活動について論じられてました。
これで入門なんだから、今の学生さんらの問題意識の高さが伺えます。
私も官民協働の政策として市内で「エコマネー」も試験してみました。
市内の個々人の能力の高さが伺えました。
もっとコミュニティの絆が深まればと思います。
が、今感じることは
いわき市というのは市役所主体の制度であって、一体となったコミュニティでは無いということです。
自動車、オートバイで「いわき一周」というのも実は稀なことで
本日も旧磐城地域をぶらついてました。
やっぱり見えない壁があるようですし
歴史、伝統、自然環境がそうさせるようです。
コミュニティは
① 地縁・血縁(隣組とか親戚とか)
② 職縁(仕事仲間とか)
③ 知縁(趣味の同好者とか)
④ 情縁(SNS、メル友とか)
から出来上がっておりまして
①は弱体化、②はその場限り(金銭目的)、③は依然ありますが結成難易度、④は現在主流。
まぁ、裏に80~90年代の日米構造協議における自由化があったとは初めて知りました。
法治国家と言っても、法律が変わればまちも変わるようではレベルが知れますね。
商店街活性化=まちづくりだけとは思いませんが
大型店がコミュニティを変えてしまいました。
安保継続とダブりまして、アメリカが東アジアにおける日本をどう変えたかったのか?
コミュニティや日本商道も骨抜きにされてしまってますな。。。
アメリカ政府(裏はイルミナティ、フリーメーソン?)の太平洋政策なんですかね?
話が変わりますが、海外駐在経験で少し数秘術にも興味を持ちました。
固定観念が数字ではないかとも思えるんです。
以前は、パチンコも好きだったんですが
PACHINKOと書いて、アルファベットの順番を足すと「77」(驚!)
PACHISULOは、「104」(これはやらないから意味分からず)
NIPPONは、「84」
JIYUUMINSYUTOUは、「229」、同様にJIMINTOUは「111」
おそれ多くも、TENNOUHEIKAは、「123」(少し驚きました)
で、私の名前は「176」
天皇陛下万歳!も、「176」
なんか2018年、平成30年の初夏頃から、心に風が吹くようになってね。
んで、マコガレイの大きいの釣って
「和食の真髄はカレイの煮付けにある」なんてある程度は釣りも役者稼業で書いてたのよ。
丁度、「永谷園」の子会社で働いてて、和食文化向上の取り組みしてましたが。
2007年、平成19年以来、麺食東北の船形山標高並みで
あんまり乾燥食品の「営洋」で海外食文化に染まり過ぎましたかな(やれやれ、汗;)
で、まちづくりに戻って
TAIRAは「49」で、自分と足すと「225」(夫婦でGO!確かによく旅してた)
ONAHAMAは「53」で、今の我が家の電話局番?自分と足すと「229」で自由民主党?
平、小名浜のまちづくりの折り合いが今も疑問符ですが、足すと「102」(旧市町村番号?)
IWAKISHIは「89」で、自分と足すと「265」(確かに風呂は好きですが・・・)
FUKUSHIMAKENは「139」で、自分と足すと「315」(裏磐梯は最高ですが・・・最後?)
総括して「229(2)」は、川崎市時代の電話番号下4桁だし、県道は営洋本社前通るしなぁ。。。
「夫婦の国を創りましょう」なんですが、小名浜+自分ですが私今×イチですよ(笑)
浜田省吾さんの歌に「とらわれの貧しい心で♪」がありますが、そんな気分になります。
数霊とか言いますし、「数字は魔物である」という本もありました。
ちなみに、学生時代以降のニックネームは
福島県では「DORAKICHI」で「78」
福島県いわき市小名浜にどら吉(怒羅葵血ともね(笑))という
自分がいるの総和は「535」(我が家の固定電話か?)
宮城県仙台市では「ORORON」で「95」で総和は「453」(大学院には行けず、仕事?)
東京都、神奈川県では「ONOCHAN」=「70」、もしくは「ONOCHIN」=「78」
前者の総和は「447」(本名?)
後者の総和は「455」(仕事?)
全総和は「525」(また我が家の電話番号?)
結論的には固定電話番号と簡易数秘術の不思議さですね。
まぁ輝いてた学生時代の頃の
「七帝戦」「高専柔道」「十字締め返し」と言うキーワードでは
私(おろろん)が技ると「737」(確変突入まんてな、まぁいい数字でした^^)
皆もやって心すっきりしましょう^^
コミュニティと自我と観念と数字いう余談でした。