府中・大國魂神社の神前灯籠 | 心を込めてお墓づくり。川崎登戸の町石屋、吉澤石材店です

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お墓について疑問に思われていること、心配なことはありませんか?
どこまで情報発信できるかはわかりませんが、お墓についてや石についてなど、
石屋だからこそわかることや思うことを綴っていきます。

今日のブログは久しぶりに先祖の仕事シリーズです。


訪れたの場所は東京の府中市にある大國魂神社。くらやみ祭りでも有名な武蔵国の総社です。


こちらの隨神門という新しい門を入った左右にある神前燈籠が弊社の手によるもの。引いて写して何とか両側に写っています。


左右あるのでまずは右側から。


続いて左側です。


見るところ右側はまだ部品はオリジナルのようですが、左側は火袋は後補、御影石製です。棹の部分もセメントで補修されていました。据え直しをした時に施工した石材店さんで修繕してもらったようです。

二基ともに棹石や台石に建立年や施主名・施工者名が刻まれています。天保11年は西暦1840年、今より175年前です。




「登戸 石工 伊勢屋藤三郎」と刻んでありますが、伊勢屋とは弊社の昔の屋号。石材店を営む前の仕事だった廻船業当時の名残りだと聞いています。藤三郎は江島神社の神前灯籠 (弘化3年・1846年)を作った二代目の藤三郎光信です。

また、施主名は「武州相原村 青木勘次郎易直」という方です。撮影時には気が付かなかったのですが、江島神社の灯籠の施主と同じ人物でした。あちらの灯籠では名前の「易」が判読できなかったのですが、ここの彫刻文字がよく残っていたので確認することがかないました。

この大國魂神社の灯籠の作製で、下相原村の名主・青木勘次郎さんに気に入られ、それが6年後になる江島神社の灯籠の作製につながったのかもしれません。

地輪や受けにもいろいろと彫刻が施されています。






175年ほど前のものなので、石造物としてはそう古いものではないかもしれません。それでも大きく破損せずに姿を留めていることは、子孫としてとても嬉しく誇りに思います。本当に幸せなことだと思います。

石は時代を越えて残っていくものということを、とても身近な存在に教えられる思いです。今、この時代に取り組む仕事も、後世の人間が目にしていくということを忘れずに頑張っていこうと改めて感じます。

また、よろしくお願いします。

(ちなみの大國魂神社のHPはこちらです。コンテンツの「神社マップ」中の宝物殿をクリックするとこの神前灯籠が写った写真が見られます。https://www.ookunitamajinja.or.jp/