流れ星ネコのまた旅日記 -321ページ目

納豆3

 日本に帰国する方から、納豆作成キットをいただきました。
 帰国時には、皆さん、残った食材を残留日本人に分配します。
 お別れは悲しいのですが、悲しみの中の悦びが、この食材分配の儀式です。
 そして、その方から私が譲り受けたのが、納豆作成キットでありました。

 納豆キットは、ダンボール箱、保温用発泡スチロールがメインツールですが、用縦横10cmほどの、例の発泡スチロール製納豆容器(製造者ラベル付)まで用意してある周到さです。

 まあ、チュニジアにおける納豆の権威と言っていいでしょう。5kgほどの大豆を納豆にしたそうです。
 私などせいぜい500gですから、たかが知れています。

 納豆のココロは、「蒸し」と「発酵」です。
 「蒸し」は4,5時間。「煮る」という短時間勝負の方法もありますが、大豆の風味という観点から、ここはやはりじっくり蒸します。
 パリジェンヌを前にしたmさんのようにたっぷりふやけたら(あ、mさん、ごめんなさい)、このフヤケ野郎を熱いうちに清潔な容器に盛り、やおらナットウキナーゼの白い粉末は散布します。
 ここのポイントは「清潔」です。納豆菌以外の雑菌が繁殖しないよう、熱湯消毒です。

 次に「発酵」です。
 40℃、湿潤な環境で半日から1日、ナットウキナーゼの健やかな成長を祈ります。

 この温度と湿度保持が難しかったですね。
 私の場合、温水ヒーターの上に乗せたのですが、どうも湿度管理がいまいちでした。
 表面に白い粉が散って、もちろん粘り気も出たのですが、かき混ぜると思わず
 「うりゃあ、どうだあ!」
 と叫びたくなるような、あの千脇肉躍る糸の粘りがでません。

 サラサラと、淡白な、納豆でありました。

 そのおとなしい納豆たちを炊き立てのごはんに乗せ、ココロ静かに、しみじみと食べるチュニジアの夜でありました。

 
 そこで、納豆作成キッドをいただいた納豆名人ですが、実はこの方、洋裁の専門家、マダムミコさんでありました。
 洋裁のプロがなぜ納豆か・・・・という問題はほっといて、彼女はカンボジア、中国、チュニジアと世界をまたに活躍されております。やはり「衣力」は「胃力」に通じる、ということでしょうか。


 納豆のパッケージです

 おとなしい納豆たち

納豆2

 チュニジアには大豆がありません。もちろん納豆も味噌も豆腐もありません。(タイ醤油が一部あり)
 つまり日本人には極めて過酷な生息環境といえるでしょう。
 中華料理を装ったタイ料理店はありますが、本格中華料理店は郊外のリゾートホテル一つのみ。日本料理店など望むべくもありません。
(でも実際のところ、女性の適応能力はすごいと思います。食べ物に適応できない男どもに比べ、女性は何処でも何でも食べる能力を持っています。やっぱり持って生まれた固体生存力の違いでしょうか。異国における胃力(イリョク)のフォースは、断然女性が優れています)
 
 冷凍庫に保存していた日本から持参のおかめ納豆3個100円も底をつきました。
 いよいよその時が近づいてきました。
 このままほっておくと、私の遺伝子がどのような暴動を起こすかわかりません。
 

 戸棚に、日本から送られてきた大豆が眠っています。
 そして同僚に分けてもらった、ナットウキナーゼの白い粉末の小瓶。

  私の遺伝子が、
「納豆を作れ・・・・」
と命令しています。

 私は命じられるままフラフラと大豆とナットウキナーゼを手に取り、そして先日m先生からいただいた、納豆作成キット一式を、戸棚の奥から取り出したのでありました。

納豆1

 「貴重な宝物を奥様からいただき、ほんとうに感激しました。
 今朝、騒ぐ心を鎮めながら静かにふたを開け、寄り添って寝ている小さな大豆達を丁寧に容器に移すと、もう抑えきれない衝動で一気にかき回します。
 懐かしい大豆の子供たちは、白濁した粘りに包まれます。
 醤油をたらし再度かき回すと、炊き立ての白いご飯にのせます。
 ご飯の甘い匂いと発酵した納豆、醤油のかぐわしい匂いがわたしの鼻をくすぐります。
 そしてご飯との混合の度合いに注意を払い、適度に混ぜながら口中にほおばると、もう何者にも変えがたい桃源の世界に広がります。
 細胞が喜んでいます。
 遺伝子が小躍りしています。」

 ある日、一時帰国をしていた奥様からお土産をいただいたときの、私の礼状です。
 こんなにセキララに恋情を表現したのは、若造の頃以来ですね。
 甘く切ない恋心が、納豆と共に戻ってきました。

 前も書きましたが、チュニジア人の遺伝子が小麦、羊肉及びオリーブで出来ているのに対し、日本人の遺伝子は米、魚及び大豆で構成されています。
 これは、間違いのない科学的真実です。
 ですから、これらの食材が欠乏すると、遺伝子は苦しみ始めます。
 チュニジアには、米(タイ米ですが)はあります。魚も地中海ですからもちろん食卓に並びます。
 でも、悲しむべきことに、きょうの雨、大豆がありません。
 行かなくちゃ、キミに会いに行かなくちゃ。
 日本人の遺伝子が泣き叫びます。
 -キミがいないと生きていけない・・・・

トントンヴィラージ2

 「豚々村」(トントンヴィラージ)なんて、アッラーの神をも恐れぬ飲み屋だが、その店はチュニスのシャンゼリゼ、「ブルギバ通」に建つ「ホテルアフリカ」(たぶんチュニジアで一番高い)の裏手の路地、映画館(たぶん)の横にある。

 アルコールが飲める店の例に漏れず、外からは中が伺えない。ガラス窓は全てカーテンで覆われている。 日が沈むと、チュニジアのおやじ達が三々五々と集まり、夜8時ともなると結構広い店内がいっぱいだ。くだを巻くおやじ達で賑やかになる。
 ほとんどの客が男。「おやじ」である。稀に見かける女性は日本人など、つまり外国人である。
 口髭をはやした店のおやじもシャイで感じがいい。

 この店は魚介類が豊富なので日本人に人気がある。エビ、イカ、タコが蒸したり揚げたりされて出てくる。魚、貝、もちろん肉(モツ煮込みなど)もあり、酒のつまみに事欠かない。パンはもちろん食べ放題である。
 まずセルティア(ビール)で乾杯し、やおらマコン(ワイン)を注文し、喧噪の中、日本のおやじ達も酔いつぶれ、チュニジアの夜は更けていくのである。
 たくさん飲んで食って一人2~3千円でOK。

 で、おやじの会であるが、K嬢の帰国と共になんとなく解散。
 おやじだけでおやじの会を作ったって、なあんにも面白くないもんね。


 日本人好みの料理が並ぶ

 シャイな店のおやじ

トントン・ヴィラージ

Y氏「今度トントンへ行きましょう。おやじの園ですよ」
ワシ「いいねえ、おやじの園」
Y氏「ええ、いいですよお。店のおやじの腹を叩くのが挨拶なんですよ。腹が出てるんですよ」
K嬢「お腹を叩き合うんですか?」
Y氏「いえ、ボクが一方的に叩くんです」
 お互い叩き合うのじゃないの?Y氏のお腹を見て思うが、黙っている。ハンドルを握っているK嬢も黙って運転している。
 チュニスの郊外、高級住宅地ラ・マルサにお住まいのご夫婦の帰国お祝い大パーティ、しこたまご馳走になった帰りである。

K嬢「えーと、おやじって群れるんですか?」
 前後の脈略のないことを突然言い出すのがこの人の得意技である。
Y氏「何ですか?人をなんかの動物の群れみたいに。失礼な」
K嬢「いえ、違うんです。私も群れるのが好きなんです。最初は男の人は飲むのが好きなのかなと思ったんですが、本当は群れるのが好きなんですよね。実は私もそうなんです。私もおやじ化しているのではないかと・・・・」
 チュニスの夜の町を、K嬢の黒のプジョー206は疾走する。巧みにハンドルを切りながら、K嬢は実はおやじだったとカミングアウト・・・。
ワシ「ふーむ。そうだったのか」後部座席で頷く。
Y氏「K嬢はおやじだった・・・そうかもしれませんね」と直ちに納得。
K嬢「おやじは酒場で群れてくだを巻くんです」

 以上の経緯で『おやじの会』が結成された。

 会長はもちろんK嬢。
 会則は唯一つ。
「酒場に集まって酒を飲んでくだを巻く」
 おやじが群れてぐだぐだと愚痴を言って酒を飲む。
「もうやってられないっスよ」が合言葉だ。

その集会所が「トントン・ヴィラージュ」である。