こんばんは。
人物、カルチャー、女性の生き方を探究し続けるライターの芳麗です。
日中にあげたブログで、元ミニマリストのやまぐちせいこさんについて触れましたが……
私がミニマリスト的な考え方や、やまぐちさんの「肩書きを手放す」という生き方に引き付けられたのは、
そもそも、仏教(ブッダの考え方)を参考に生きているからだと思います。
年齢を重ねに重ねて、時に深呼吸しながら(時にため息をつきながら)、リラックスして生きられるようになりましたが……
もともとの私は、ものっすごく悩んでしまうタイプ。
悩んでも仕方ないことまで、延々と考え過ぎてしまって、それを誰に話すこともできず、1人で窒息しそうになりながら生きていました。
だから、常に何かや誰かに救いを求めていました。
とても、切実に。
書籍や映画、音楽などのカルチャーを愛しているのも、文章を書く仕事について生き方を探究しているのも、全ては大きな意味での救いを求めていたから、だと思います。
様々なもの、人、行動に救われて、わたしは今ここにいますが、中でも仏教(ブッダ)の思想や指針に触れることは、悩みすぎる自分の心を楽にしてくれました。
仏教は、日常的に使える。
かつて、どなたかがおっしゃっていましたが、言い得て妙だなと思います。
宗教関連の本というと「使う」なんて言葉は不似合いな感じもしますが、仏教の思考は、ホント使える!
だから、仏教をベースにした書物には、敬愛するヘルマン・ヘッセ小説など素晴らしいものが数多ありますが……
ここではあえて実用書寄りの一冊を紹介します。
本書は、僧侶である著者が、仏教の考え方をベースに人間や人生のの本質に迫りながら、悩みの根本を解き明かし、それを解決する方法を教えてくれます。
まず、ブッダは、人生で直面する悩みを8つに分類しています。
1.生活することに対する悩み
2.歳をとることに対する悩み
3.病気をしてしまうことに対する悩み
4.死ぬことに対する悩み
5.嫌いな相手に対する悩み
6.愛する人と別れる事に対する悩み
7.欲しいものが手に入らないことに対する悩み
8.ままならない人間の心に対する悩み
分類しつつも、これらの8つの悩みの根源はひとつ。
それは……「執着」であるとブッダ。
執着とは、ある事(人)に強く惹かれ、深く思い込み、どうしても忘れ切れないこと。
辛い状態ですよね。
でも、ブッダは、この「執着」とは単なる「心の反応」とも。
つまり、悩みは人それぞれだけど、そこには必ず何かしらの「執着」=「心の反応」がある。
心の反応とは、その人自身の心が作り出したもの、精神活動の1つに過ぎないのだと喝破します。
最初にこの前提を読んだだけでその通りだなと思いました。
このネガティヴな心の反応さえなくせば、悩みも消えるというわけですが、心は条件反射的に反応してしまうので、そう簡単に消せないもの。
そもそも、なぜ心が執着という反応を起こしてしまうのかというと……人間には生まれながらに喜びを求め続けてやまない、「求め続ける心」があるからだとブッダは言います。
「求める心」は、人間の生命力でもあるけれど、様々な欲望(欲求)を増幅させるもの。
そして、増幅した欲望が満たされないから、人は悩んでしまうというわけです。
では、どうすればいいのか。
「心の反応」は生きている限り無くすことはできないけれど、執着などの「無駄な反応」は無くすよう心がけること。
無駄な反応をなくすには
ステップ1.
まずは、悲喜こもごもや執着に反応してしまう、自分のありのままの心を受け入れること。ジャッジしない。
ステップ2.
次に、自分の内側ではなく、外側へ視点と意識をもつ。
(つまり、客観的な視点を持つ)
ステップ3.
外側に意識が向けられたら、次は、自分の頭の中を分類してみる。苦しい時は、貪欲に求めすぎているからか、怒りがあるのか、それとも妄想過多?
この3ステップを行ううちに、完全には無くならないものの、少しづつ無駄な反応がなくなっていくはずですが……
たとえ、できてもできなくても、自分をジャッジせず、ただ見る(正見)ことも大切だといいます。
詳しくは本書をぜひ。
自分の無駄な心の反応を手放すのはもちろんですが…他人の心の反応(ジャッジ)も気にし無いというのも、とても大切なことですよね。
(本書のもうひとつのキモです)
この話は、長くなりそうなのでまた改めたいと思います。
年齢を重ねてだいぶ楽になりましたが、まだまだ悩む(=執着する)こともあります。
反応しない練習で、執着心をより手離せたらなと思います。
今日もありがとうございました