9日目は夜まで作業があったので、もうひと晩泊まらせて頂いて次の日の朝に発つことになっていた。父親と同じ年で山登りが趣味の方が、「それなら」とバスの出る石巻まで送ってくれることに。うん、ありがたい。

 高速バスは朝早いせいか人もまばらで、少し眠った後はぼーっと考えごとをして過ごした。横浜まで8時間半。遠くなっていくにつれ薄れていく何かを少しでも引き留めたくて、9日間のできごとをぐるぐると考え続けた。
 まだ噛み砕けていない。
 3日目に覚えた感覚は、薄くなるどころかむしろ濃度を増した。出会った人たちのこと。被災地のこと。子どもたち。価値観。自分。どう解釈したらいいんだろう? 本当に自分の方向性は合っているのか?

 心が落ち着かなくて、こりゃひとりじゃいられないな、と思った。
 何でも受け止めてくれる友だちがすぐ会える距離にいるのは、本当にありがたい。下宿に友だちを呼んで、見てきたことや考えたことをつらつら話した。次の日は、小学校からの親友と。また次の日は兄と。気持ちの居どころがなくて、電話をかけてとにかく話し込んだ。

 女川にいたときから予想していたことではあったけれど、こっちの生活とのギャップはやっぱり小さくない。大学のゼミに出ても、どうも空虚に思えてきてしまう。この人たちは何のためにこの研究をしてるんだろう? もっとやるべきことってあるんじゃないのか? 自分がここにいる意味は何なんだろう? 目的意識を持って研究をしている人は、自分の周りには片手で余るほどしかいない。教授を入れても、おそらくいない。
 研究はそこそこに、別の何かを持っていればそれでもいいと思う。でも、なかなか。
 主体性。やりたいことがあるから、それをやる。目的意識を持って行動している人は少ない。「好き」とか「どうしても」とか、感情に突き動かされて行動しきれる人も多くない。その中で、ちゃんと悩めている人なんて、きっともっと少ない。
 この違和感を忘れたくないな、と思う。
 定まらない心がちょっとずつ落ちついてきてしまうのは、すごく怖いことでもある。今の環境に慣らされてしまいそうで、不安。

 嫌いじゃない。何となくで生きている人の中にも好きな人はたくさんいる。けれど、もっといい生き方があるのにと思う。それなら、好きなものが見つからずに模索し続けている人の方が、ぱっと見で輝いていなくてもずっとかっこよく見える。
 自分は、初めから幸せを妥協することができない。だからかもしれないけれど、何となくで生きている人や今の喜びしか求めていない人が、すごく不安定に映ってしまう。
「この人は幸せな人だな」と感じる人は、今の喜びの先に未来の幸せも透けて見える。苦しさが人生を充実させてくれることがあることを、ちゃんと知っている人。これは、単に価値観の違いなのかな?

 まだ悩みが尽きずに悶々としているけれど、でもやっぱり悩めることがすごくうれしい。もっと色んな人と会って、知りたい。今回の経験で、心からそう感じた。