潮のにおいに敏感なのは、海にほど近い町で生まれ育ったからなのかもしれない。いつもは鼻につんと入ってくるその匂いを嗅ぐとほっとするけれど、ここでそのにおいを感じると、どうにも切なくなる。
今日は日曜日で休みだった。
ボランティアの人たちの管理をしていてご自身も長期でボランティアをなさっている方が、仙台の方でボランティア募集の広報に行こうかな、とおっしゃっていたので、自分も良ければ一緒に行かせてもらえないかと事前にお願いしていた。
人に伝える。動かす。これらは、まさに自分が今後目指していかなければならないテーマであるし、自分で動いて広めるという方法は、一般の生活者との近い距離感で効果を実感できるまたとないチャンスである。それに何より、自分自身がこの活動のためもっと主体的に関われないだろうかと思ったからだ。
結局、自主的に広報を行う上での許可等の問題もあり、今回は出来る範囲で知り合い程度にとどめるという話だったので、付いていくことは出来なかったが、自分から積極的にアプローチを試みたことは決して悪いことではなかったと思う。
と、言う訳で、他のボランティアの方々もそれぞれ出かける予定があったため、今日は1日中ひとりの時間があった。
取り合えず、早く卒業論文を終わらせ、残りの時間を100%ボランティアに注力したくて、さっさと論文を片付ける。そして、せっかくなので、ひとまず論文を落ちつかせてから、津波の被害が大きかった町の中心部まで行ってきた。
だんだんと海が近づくにつれ、少なくなっていく形。海沿いにあるのは何と表現したらいいのやら分からない異形のコンクリートや、足元から持っていかれた生活の跡だけだった。
見たものを感じようと思っても、言葉にしようと思っても、何も出てこないというのが本音だった。近くまで来れば現実感があるものと思いきや、そこにあるのは冷たい潮の香りだけ。ここに人が生活していたということが想像できないほど全てがきれいに流されて、遮るものがなくなったせいで近くに見える海が皮肉なほど穏やかだった。
どう目の前の光景を受け止めたらいいのかが分からない。唯一現実感を引き連れてくるものと言えば、潮のにおいだけだった。明日は我が身。静岡の港町に実家がある以上、自分の吸ってきた空気も町もまた、すべて根こそぎ持っていかれる可能性があるのだ。
忽然と消えてしまっただけのようにも感じられてしまう町。その光景を自分のふるさととだぶらせて、そこでようやく初めて、恐怖に近い感情を抱くことができた。
今日は日曜日で休みだった。
ボランティアの人たちの管理をしていてご自身も長期でボランティアをなさっている方が、仙台の方でボランティア募集の広報に行こうかな、とおっしゃっていたので、自分も良ければ一緒に行かせてもらえないかと事前にお願いしていた。
人に伝える。動かす。これらは、まさに自分が今後目指していかなければならないテーマであるし、自分で動いて広めるという方法は、一般の生活者との近い距離感で効果を実感できるまたとないチャンスである。それに何より、自分自身がこの活動のためもっと主体的に関われないだろうかと思ったからだ。
結局、自主的に広報を行う上での許可等の問題もあり、今回は出来る範囲で知り合い程度にとどめるという話だったので、付いていくことは出来なかったが、自分から積極的にアプローチを試みたことは決して悪いことではなかったと思う。
と、言う訳で、他のボランティアの方々もそれぞれ出かける予定があったため、今日は1日中ひとりの時間があった。
取り合えず、早く卒業論文を終わらせ、残りの時間を100%ボランティアに注力したくて、さっさと論文を片付ける。そして、せっかくなので、ひとまず論文を落ちつかせてから、津波の被害が大きかった町の中心部まで行ってきた。
だんだんと海が近づくにつれ、少なくなっていく形。海沿いにあるのは何と表現したらいいのやら分からない異形のコンクリートや、足元から持っていかれた生活の跡だけだった。
見たものを感じようと思っても、言葉にしようと思っても、何も出てこないというのが本音だった。近くまで来れば現実感があるものと思いきや、そこにあるのは冷たい潮の香りだけ。ここに人が生活していたということが想像できないほど全てがきれいに流されて、遮るものがなくなったせいで近くに見える海が皮肉なほど穏やかだった。
どう目の前の光景を受け止めたらいいのかが分からない。唯一現実感を引き連れてくるものと言えば、潮のにおいだけだった。明日は我が身。静岡の港町に実家がある以上、自分の吸ってきた空気も町もまた、すべて根こそぎ持っていかれる可能性があるのだ。
忽然と消えてしまっただけのようにも感じられてしまう町。その光景を自分のふるさととだぶらせて、そこでようやく初めて、恐怖に近い感情を抱くことができた。