平成17年度までは、いじめの定義は「自分より弱い者に対して一方的に」と書かれていた。従って、いじめと判断するかどうかは双方の力関係や集団の中での位置づけなどを考慮する必要があった。また、一方的なものかどうかを考慮する必要もあった。いわゆる、クラスのボス的な存在の子供が「いじめられた」と言ってきても、それはいじめとして取り扱われることはなかったのである。しかし、今はそのような定義はない。集団の中での位置付けなどは関係ないのである。それでは、クラスの中で立場の弱い子供はどうすればよいのか?ボス的な子に反撃をすれば、いじめをした事になるのか?それでは、その子は救われないではないか。そのような状況を生じさせないために、学校も保護者も常に考えておかなくてはならないことがある。それは、いじめかどうかを判断することが大切なのではなく、「より良い人間関係を築く」ために課題解決に取り組むのである。学校や保護者は、どちらが悪いとか良いとかを決めるのではなく、お互いの関係をよりよいものにしていくために、どうすればよいかを関係者みんなが一緒に考えて取り組むべきである。被害者の側に立つというのは、必ずしも被害を訴える側が100%正しくて、加害者が0%という訳ではないのではないか。苦痛を感じている子供を救うために、その子の思いに寄り添って、その課題に早急に取り組み、被害者の精神的な苦痛を一刻も早く取り除いてあげることである。従って、被害者であろうと、場合によっては直さなくてはならない事や謝らなくてはならない事もあるかもしれない。ボス的な子供が「いじめを受けた」と言ってきた時には、その子の事を考えて、平素の人間関係の築き方も指導してあげるべきである。要するに、いじめかどうかの判断が難しくても、その子供の精神的な苦痛をどうすれば取り除けるのかを最優先に考えれば、誰であろうと直さなくてはならない事は直すべきだし、場合によっては100%対0%にならない事だってある。その事を理解しておかなければ、「いじめを訴えたのにうちの子も悪いと言われた」といった不満を抱く事にもなりかねないのである。
