前回も書いたが、保護者から「我が子がいじめを受けた」と話があれば、通常何よりも優先してその課題に取り組まなくてはならない。被害者の立場に立って、子供を早急に救わなくてはならない。これは誰もが当然だと思う。しかし、現状で考えなくてはならないのは、最近の保護者の傾向として、我が子が精神的な苦痛を受けた場合のすべてを「いじめを受けた」と訴える状況にあることだ。これは、文部科学省のいじめの定義である「いじめとは、心理的、物理的攻撃を受けたことにより、精神的苦痛を感じているもの」とあるように、ある意味では当然の主訴である。しかし、その定義が書かれている箇所には、注意書として「けんか等を除く」ともあるのだ。これが難しい。けんかなのかいじめなのかを一体どうやって見分けるのだろうか。そもそも、私たちは、いじめとけんかの区別など出来るのだろうか?けんかをすれば、誰だって精神的苦痛を感じる。その時に、被害を訴えた側をすぐに「被害者」としてしまうと相手も精神的苦痛を感じていたらどうなるのか?当然、加害者とされた側も、「自分の子はいじめてなどしていない。相手にもこんな事をされた。」と反論が起こる。学校は、常に被害者の立場に立つので、加害者とされた保護者の不満が残り、摩擦や軋轢が生じる事になる。そして、その不満を抱えた保護者の怒りが、一見モンスターと映ってしまうことになるのである。学校にとっては、保護者から「いじめを訴えたのにいじめとして対応してくれない」と言われることは、絶対にあってはならないことである。だから、けんかであろうとなかろうと、「いじめを受けた」と訴えがあった時点で、けんかであろうとなかろうと「いじめ」なのである。被害を訴えた側に立たなくてはならないのである。平成17年までは「いじめ」の定義は違っていた。長くなるので、この事は次回で更に考えてみたい。