いったい私のどこが、いけなかったのだろう?
9年前、婚約したはずの彼にふられた。
9年経っても、まだ引きずっている。
仕事でも充実してれば、少しは紛れるのに、週3回午後の短時間のみの、アルバイト。
しかも、経理。仕事、合わないんだ。。。
私は身体を動かすほうが合っている。
サイゼリヤやヨシケイで接待業してたほうが楽しかった。。。。
父の会社から声かけてもらって、、たまたまニート状態のとき、就活も転職続きで、履歴書見せるのが恥ずかしくなってたから、引き受けちゃったんだけど。。。。
社員は社長の娘で、フリーターなもんだから、距離置いて見てる。
フルタイムじゃないから、甘えてる、って思われている。
確かに、私は、経済的に自立できてない。。。。(情けない・・・)
以前は、大学出て、地方の精神科病院にPSWとして、医療相談室でフルタイムで働いてた。
初めての一人暮らしも楽しかった。
でも、精神科という過酷な環境で、私は戸惑っていたし、主任とうまくいかなくて、とりあえず3年と思ってたら、
ホントに3年で辞めるハメになってしまった。。。
それから、転々としてた。実家に帰ると、母がうるさいので、病院の隣の県へ引っ越して、配達業(ヨシケイ)をやってた。
彼は大学の同じサークルの先輩だった。大学内で、メールのやりとりとかしてたけど、彼が大阪へ就職し、一時は連絡もとぎれていたけど、手紙のやりとりはしたりしてた。
でも、PSW時代、忙しいのと、メールできる環境作りが、PCを当時持ってなかったこともあり、メールをやりたがってた彼とは、ほとんど連絡してなかった。
でも、PSW3年目のある日、彼のお母さんが肺がん末期の宣告を受け、動揺した彼が、メーリングリストに祈りのお願い(私たちはクリスチャン)で、投稿してた。
私も動揺して、「遠い・・・・辞めたい」と周りにこぼしてた。
1月、帰省した際、サークルのみんなで会おうと、私が彼に電話した。
「昨日が山場と言われた・・・」意識不明になっていた。
「荻窪に来たら会えるよ」「え、みんなで行ってもいいの?」「え、それはちょっと・・・・」
私は勇気を振り絞って、1度病院の前まで行き、でも、病室まで上がれなくて、電話した。
彼は出なかった。その代わり、後から、「何かあったら連絡して・・・」と留守電に入ってた。
勇気倍増!!!職場の石川県に帰る当日、大きな荷物を持って、病室を見舞った。
看護婦さんに、彼にあげるメッセージとお菓子を託して、「帰ります」と告げて・・・・。
そしたら、エレベータを待ってる私の前に素足にサンダル姿の彼が現れた。
「会っていって・・・・・」
お母さんは、小さくしぼんでしまっていた。「挨拶して・・・」「大学時代お世話になったあわびです」
クスッと彼が笑う。
コーヒーだったか紅茶とケーキが出てきて、お父さんも病室をチラと覗いて去る。
驚いた。ホスピス病棟は、なんと配慮が行き届いているんだろう・・・・。
職場の精神病院とは大違いだった。
彼と一緒に祈って、、、、彼は、私の仕事のために祈ってくれた。私は「この家族がまもられますように」と祈った。「よしっ」だって。
そして、走って、飛行場へ向かう。間に合って、感謝だった。
2日後、始業してまもなく彼から携帯にtel。
「どうしたの?仕事中だ・・・よ」 「死んだ」 「は、何時???」
彼も聞かれるとは思ってなかったのか、しばらく間を置いて、「7時半」
ホントは看取れたか聞きたかったんだけど、意識不明なんだし、死後の発見だったんだろうなと思った。
「お疲れ様でした」 お母さんに、そして、彼に・・・・。
こういう時、電話くれたことに感謝できればよかったんだけど、「引き続き支えられて・・・」
パチンと電話を切られてしまった。(葬式とか大変かなと思ったんだけど・・・)
一週間後、彼に電話すると、嬉しそうな彼。
元気づけたかったんだけど、「仕事辞めようと思ってるんだ・・・」
答えは 「頑張れ」だった。
もう、辞める方向に話は進んでいた。。。。
結婚したい、そんな思いを秘めての電話だった。。。。
その後、また連絡はせずに、私は福井県に引越しをした。
神様から、導きをいただきたかった。
1年半ほど経って、在職中一緒にアパート探しをして退院したある患者さんが、誕生日に亡くなり、メールングリストに久々に投稿した。
すると、バレンタインデーに彼から、メールを送ってきた。
近況を教えてほしいとのことだった。
それから、メールのやりとりが再開する。時々電話もかけるようになる。
しかーし、私たちの間には、Aちゃんという存在が、立ちはだかっていた。
サークル間で噂になった「彼とAちゃんが付き合ってる」というものだった。
だいぶ前の話なのだが、そして、それは、噂にすぎないと私は思っていたのだが、彼が、はっきり否定してくれないのが、不満だった。
その噂を私も彼のいる前で聞いたのだが、「行き場を失った子羊」と言っていた。
はっきりさせようとすると、沈黙する彼。 信じてくれ、ってことなんだろうなあと思ってた。
「信じるよ」
だが、ある夏の日、メーリングリストにいきなり、結婚が決まったと、相手の名を告げずに、結婚宣言。
私は、福井にいて、そんな話、聞いてないぞい。。。。(結婚宣言の後すぐ私宛に元気ですか、メールが来てたんだけど・・・)
無視してた。・・・というより、どう反応してよいか、分からなかった。。。。
もてる彼、想いを寄せてる子は諦めてってことかと思った。
私は、結婚するつもりで、実家に帰るつもりでいた。
「福井でいいじゃん」と彼に言われたにも関わらず・・・・。
冬、思い切って、聞いてみた。 「誰と結婚するの?」
結婚式の案内状がメールで届く。
Aちゃんの名前・・・・時間が書いていない・・・・
実家にもう戻ってた私。「結婚式に行ってあげるから、招待状送ってよ」
「送るわけないでしょ~!!!!」
長文、すみません。疲れたので、今日はここまで。
なにしろ、1993年に彼と出会い、なが~い付き合い?なのです。。。。
私はAちゃんとの結婚はウソだと思ってて、今でも待ってるんですけどね。。。。
でも、苦しいんです。彼との断絶状態が・・・・・。