毒母と対話するために、
思い立って帰省しました。
今日は
昨日の記事(←こちらをポチッ)の続きです。
『コメダ珈琲』
人気のシロノワールで気持ちもほぐれて
初めに、
母の子供の頃のことを聞きました。
母は、私を育てている時、
鬼のような形相で
「お前は贅沢だ、私の子供の頃は家庭科の時間、パンツ(下着)も自分で縫ってたんだ!」と意味不明な理由で虐待するような人でした。
殴る蹴る、無視・けなすは日常。
『いまどきパンツ縫ってる人いない!』
と思っても反論すらできず、されるがままでした。
きっと母は、自分の子供時代が辛くて恨んでるんだろう、と私は10歳ころから思っていました。
子供のころの事を話し出した母。
意外にも、とても楽しそう
「おとうちゃんが、
街で新しいランドセルを買ってきてくれて、蓋に真っ白なウサギと草の絵があってとても好きだった」と話してくれました。
実父のことを私の前で 初めて『おとうちゃん』と呼ぶくらいなので、かなり心開いて話してくれていることに驚きました。
(おじいちゃんとしか 言ったことがない)
当時のランドセルは皮ではなかったけれど、入学する自分用の赤いランドセルだったそうです。
母は終戦前生まれの8人姉兄妹弟の6番目。
すぐ上や下の姉妹が何を持っていたかは覚えてないけれど、自分に買ってもらったモノがいくつかあって、とにかく嬉しかった、と本当に嬉しそう


両親(私の祖父母)の生い立ちから、
姉(叔母)たちとのことも、
良い思い出として取り留めもなく話してくれました。
本当に楽しそうでした。
子供時代も10代の頃も、
楽しかったようなのです。
農作業の手伝いも、
大変だったと言いながら、それも思い出話の経験談として語ってくれました。
70代半ばの母の様子から、
きっと本当に思い出すままに素直に
話してくれたのがわかりました。
私は、
自分が毒母(あなた)の言動が辛かったことも伝えられたら、とも思っていました。
私は、
かつて(10年くらい前)、人生で一度だけ
いい加減にして❗️
と虐待されてきたことを遠回しに、
でも意を決して言ったことがありました。
しかし、忘れていた上に、
「なんで私にそんなこと言って怒る」
と逆ギレして泣かれる始末・・・
そんな経緯があり、
今回は慎重に様子を見ることにしました。
(当時はふざけんな❗️
           忘れたなんて言わせない‼️
どんだけ苦しんだと思ってんダァーッ❗️
とは言えず、何日間か
散々一人で泣きましたけどね😭😭😭)
とかく記憶は曖昧で、
辛かったことは忘却してしまうこともあるので、
(私も成長しました^ ^)
対話すら初めての今回は、
まず《 対話と聞き取り 》を成功させたかったのです。
そして、終わってみると、
思いがけず楽しく穏やかなひと時で、
あっという間に3時間
大成功〜✨✨
ホッ(^^)
姉たちに憧れ学び、
家族で助け合って育った
母がなぜ毒親となっていったか、
私の積年の疑問の答えは明日。
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SNC(スーパー・ナチュラル・コーチ)
あなたの人生が輝く!とことん寄り添う
楽ラク子育て実践サポーター
木村 きよみ
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