ずっとずっと、人が羨ましくて
誰かに負けないように
ってか
勝てる人を見つけては安心するという
ゲスいやつ。
それが私でした。
勝ち負けのラインも勝手なものでねー。
その時は、自分でも自分が好きじゃなかった。
いや、ほんとは好きなのに、そんな嫌な部分を認められなくて
苦しかった。
自分の『中身』を見せるのが怖かった
不細工で
未熟で
ダサくて
間違ってそうで・・
ここで言う中身って、感じたもののこと。
なにかを見て、感じたものを見せるのが怖いって何だよ
でもほんとそうだった。
だから、好きなもの、嫌いなもの
素敵だなって思うもの
だっさー って思うもの
自分発信で表現することが、めちゃ恐怖!笑
周りの評価が怖いから。
憧れのあの人が「素敵」と言ってくれたものなら
私もそれを素敵ねと言える
って超ダサいね。
でもそうだった。
でもそれが嫌だった。
そんな私が、あるときカメラに出会えたのです。
写真は、私の心のフィルターを通して画像にしてるもの。
だから、同じものを見ても誰かの見た景色とは色も角度も違う。
恐る恐るだけど、自分が好きだなって感じる写真を人に見てもらうこと
それをやってきたら
好き、嫌いが身体で敏感に感じ始めた。
ものや人や、行動も
好き嫌いを感じてもいい
表現もしていいってことを写真は体験させてくれました
人でも景色でも、、、撮影していると
『こう撮りたい』っていうイメージ?雰囲気?が湧いてくることがある。
それを感じるとどきどきが止まらなくなる。
でも、技術が追いつかなくてもどかしいときもある。
そんなことを毎回積み重ねています
それが私の幸せ。
だから、この『心が震える』というサインを道しるべに
この身体を使って
写真を世に生み出させてください
そのために私は、今の自分に正直でいること
自分の感覚と感性を大切にすることをコツコツとやっていきたい
はるちゃんから突然
『あ、みきさん、《神様写真家》になる』
って…!
←私の心
『神様だったら、みきさんに撮らせてあげたいって思うよね。ね、博士?』
←私の心
そしたらリュウ博士も、
「うん、なんか、、エゴがあんまり無いっていう感じ」
なんていうとても嬉しいコメントをしてくださって。
(思っても無いこと、無邪気に軽くなんも考えず言えるという解説も入りましたが(笑)←私、無意識で言ってるんだって🤣)
ドキドキが止まらなくなりました。。
『覚悟決めて撮りますか?(*´艸`*)』
というはるちゃんの言葉、神様からの確認のような気がしました。
はい、覚悟決めて撮ります
畏れ多くもこんなありがたいネーミング案。
これも、受け取るか受け取らないか自分次第だと思った。
神様に愛される写真家。
それは、自分自身に愛されている写真家だと受け止めています。
私がどこまでも私を大切にすることが
目の前にいる人のとびきりの瞬間を写せると信じて。
神様さえ、「あ、こやつに撮らせちゃろ←これサンタですが何か」
と思ってしまうのは
きっと私が無邪気に楽しんでいればこそ。
これからどのようになるのか未知ですが
神様に愛される写真家
神様写真家☆みやけみき と名乗ってゆきます(*´艸`*)
どうぞみなさま、これからもよろしくお願いいたします
三宅みき 提供中のメニューはこちら