期待に応えようとすること。
人は誰でも、誰かの期待に応えようとする。
相手が自分に対する期待が見えた時は、ものすごくプレッシャーになったり、逆にうれしかったりする。
それは、相手の考えや思いが自分に伝わっているから。
じゃあ、相手が自分になにを期待しているのかわからないときは?
人の期待と自分の期待の違い。
期待すること、されることって良いことも悪いこともある。
私は完全に褒められて伸びるタイプで、人が「〇〇してほしい」「〇〇ができたらいいな」ということは積極的に手を出す。
だってその人を喜ばせることで褒めてもらえるから。
そして、褒めてもらったことでより自分に自信がつき、さらに上を目指そうと自分を磨き始めるのだ。
でも、たまに自分の期待していた反応をもらえないときがある。
いくら頑張る姿勢を見せても褒めてもらえないときがある。
子どもの時に例えると、
お母さんに褒めてもらいたくて、頑張って勉強して毎回のテストを80点以上でお母さんに見せても、反応がなかったとき少し悲しい。
最初はその点数を見て褒めてくれたけど、今やお母さんはその点数が当たり前になってしまっているのかもしれない。
こういう時もあった。
お母さんが大切にしていた花瓶を割ってしまった時。
怒らないで「しょうがないね」と慰められた。
怒られなかったのが、
私になんの期待もしていなかったのかなと少し寂しかった。
1つ目の例は、いつしか褒められるためには、自分の期待以上の人に期待に応えていかないといけないということが言える。
2つ目の例は、自分が期待していることと人の期待していることは、あまりにも違っているということ。
人と自分はこんなにも違う。
何を期待されているのかわからない。
人はものすごく曖昧な世界を生きているなと思う。
特に日本人はその気質が高くて、言葉以上のものを行動で示そうとする習性がある。
「寒いな、、、」と彼女が言えば、彼氏は毛布を持ってくるし、
「〇〇さんどう思いますか?」と上司に聞かれれば、何もわかっていなくても、次回までに資料を用意する。
”自分が”どうかではなく、”相手が”どうかを常に追っていかなければならない。
そうしないと、一体自分がなにをしているのか、自分を見失ってしまいそうだから。
その反面、
タスクは大変じゃないけど、上司は自分に何を期待しているのだろうと感じることがある。
そういう時は、自分自身も何を自分に期待しているのかがわからなくなっていることが多い。
いつの間にか、私は”人の期待で成り立つ人”になってしまっていた。
自分がどこかに行ってしまったような感覚。
期待して落胆しないように。
自分の期待は自分の中だけにしまっておくと危険なのかもしれない。
心の中の期待がどんどん膨らんで、いつか壊れてなくなってしまったら、すべて自分が抱えていかないといけない。
壊れてしまったら、助けを呼ぶのも、誰かに事情を話すにも、1から説明しないといけないし、何よりそんな体力は壊れたときには無くなっている。
私たちはもっと、人の期待に耳を傾けるべきなのかもしれない。
お互いのダメージを補うために。
もっと言葉で伝えていかないとだめなのかも。
自分を大切に思うなら、自分の期待をほかの人にも分けて上げられたらどんなにいいだろう。
直接じゃなくていい。
私はこの日記で。
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