なぜパレードが長続きしないのか? | 大自由の翼のブログ

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最近長野で行われるBest beingパレードのチーム員として動き、チームの中でその意味価値を深めることがあるのですが、他のパレードを見ると、一年に一回程度で続いているケースはあるけど、続かないケースが多いのに、Best beingパレードは今年だけ既に3回やっているこの差は一体何だろう?とちょっと自分の中で質問が沸きました。


Best Beingパレード以外のパレードで共通するのは、人間の五感覚を刺激して、楽しい気分にさせているということなのではないかと気づきました。


それでも長く続いているパレード、例えばLGBTQのパレードなどは、五感覚脳の刺激以外に共通のビジョンや共通の問題意識を持っているから、継続できるのかなと感じます。


しかし、Best beingパレードは、共通のビジョンを持っているだけでなく、共通土台を持つ、すなわち出発が共通であること、そして問題意識も究極の問題意識をみんなで、共有しあっているので、パレードに参加している人たちの団結力がかなり強力であることが他のパレードとの大きな格差ではないか?と気付かされました。


しかも、自分と自分の宇宙が実在しないこと、自分が不可能性そのものであること理解して、完全死して源泉動きそのものになっている人たちなので、今ここ歓喜、今ここ歓喜、今ここ歓喜を自ら作り出せるので、パレードに参加している人たちのエネルギー爆発が半端ないというのも、他のパレードとの大きな差であると感じました。


そして、そんな完全死の習慣があるのは、明治維新や1945年8月15日に集団で、完全死、オールゼロ化をした日本なので、日本が停滞している世界を救済することを明確に伝えることができるというのも、他のパレードとの違いではないかと感じます。


というわけで、結論として、パレードをやっても五感覚、脳をベースにしていては、継続するのはかなり難しいということかなと感じました。