今夜は、パートナーと夕飯&お茶🍵タイムにする予定でしたが、パートナーがお茶タイム🍵中に寝落ちしてしまったので、ゆるっと読書会に耳だけ参加しました。チャットのコメントはしましたが(笑)。
今夜はお久しぶりの人が参加したのですが、その方のアウトプット大会になりました。
詳細は書きませんが、生まれながらの貧富格差や過保護だった親の育て方からくる苦しみから抜け出せないことに対する嘆き、悲しみ、辛さをどんどんアウトプットしていった感じでした。
その方がアウトプットしている間に自分と他者との相対比較や自分のあり方や認識の問題とは分かっていても不平不満や愚痴が止まらないそんな感じでした。
このような状況は、この方に限らず、多くの人間たちが体験経験することであり、人類共通の絶望だなと感じるし、体人間の自分が不可能性そのものであり、完全死することしかないことを理解することがとても重要ではあります。
ただ、今回の話を聞いていて、体人間の自分が不可能性そのものであることをなかなか受け入れることができないのだなということをまざまざと見せつけられた感じがしました。
正しい絶望が必要と頭で分かるレベルでは正しい絶望はできないんだなと。
体人間の自分が不可能性そのものであることを理解するだけでなく100%受け入れるだけの覚悟と決断が必要なのだと感じました。
それはすなわち観点の問題がどれだけ絶望なのか?を100%理解することと=だと思いました。
また、この話を聞いて、ルソーが言った自然に帰れでは不平等で格差があるまま、源泉に帰ることなんだとも感じました。
観点の問題を深めさせてもらった1時間弱でした。