自分のせいでこうなっている | 大自由の翼のブログ

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昨夜の出来事。

夕飯を食べて、パートナーがとある場所に行って、その帰りを待っていました。

パートナーが戻ってきて、突然「この後お茶できない?」と言ってきました。

続けて、パートナーがとある場所に行った時に、貼り紙が貼ってあり、石鹸などの不正使用禁止と書いてあったことにショックを受けたとのこと。


なぜショックだったのか?訳を聞いたら、自分がその場所を長い時間使っているし、石鹸も結構たくさん使っているからだと言いました。


私は、その言葉にこう反応しました。


「確かにパートナーさんが石鹸を多く使って、そのことが今回貼り紙を出した一つの要因だったのかもしれないけど、それはあくまでパートナーさんの憶測でしょう?が石鹸を多く使っているのはパートナーさんだけとは限らないし、また、不正使用の理由として、その場所で衣服を洗っているという話もあったのでしょう?少なくもパートナーさんはその場所で衣服を洗っていることはないわけでしょう?不正使用禁止の責任や原因をなぜ自分一人で背負い込もうとするのですか?その考えはほとんど事実に基づかないもので、パートナーさんが勝手に思い込んでいるだけではないですか?」と話をしました。


それでもパートナーはなぜか今回のことを自分のせいにしようとしているところがあり、またその嫌な思いを私に癒してもらおうという考えがありありだったので、以下のように言いました。


「パートナーさんが自分のショックを私に話をする事で癒されたい気持ちは分かるけど、それってパートナーさんの問題の根本的な解決になるのかな?少なくも今回はパートナーさんが事実に基づかない思い込みからショックを受けているわけだよね?それならば、そもそも今回の出来事を自分のせいだと勝手に思い込むのではなく、その出来事が本当にパートナーさん自身のせいなのか?今回の出来事によってショックを受けざるを得ない状況だったのか?を客観的に考えてみたらいいと思うよ。」


今回のケースでは、一般的には、パートナーさんに対して「気の毒だったね」「大変だったね」「ショックだったのは分かるよ」と言って相手を癒したり、励ましたりする言葉を投げかけるのだとは思います。


確かにそれは一段階必要なことではあるかもしれませんが、それを続けると、パートナーが私に対して「辛い時悲しい時に癒してくれる人」と規定しまい、自分が抱えている問題を自分で解決する意思が弱まってしまう可能性もあり、あえて少し厳しい言葉をかけてみました。

それに今回の出来事はパートナーが一つの考え、価値観、観点に固定されずに多様な考え方ができないか?を考えれば、自分で乗り越えられる問題だと思ったのもありました。


パートナーが持病を持っていて、気が弱くなりやすい面は否めないですし、やむを得ない状況であれば、優しい言葉をかけることも考えましたが、今回のケースは、別に私に慰めを求めなくても、パートナーが自分で解決する問題であると思いました。


一般的な話として加えると、今回のパートナーのようなケースは世の中にたくさんあると思います。自分の身の回りに起きていることで自分ではどうしようもないという挫折と諦めからきていると思います。

今回パートナーには、今回の出来事はパートナーに限らずに人類のほとんどが抱えている問題であることを伝えておきました。


今回のケースで気づいたこと、感じたことは以下の通りです。

1. 観点に固定されていては、自分の人生に対して絶対的主導権を握れない。

2. パートナーはこの身体だけが自分だと無意識に強く思っている。だから、自分の外から入ってくる情報や現象に振り回されてしまう。だから自分が意図しない出来事が起きると、右往左往してしまい、どうして良いか分からない。言い換えれば、体の自分がどうして生まれるように見えるのか?認識の仕組みが分からないと、病気の根治は難しいと感じる。

3. 観点の問題を解決できない=認識疾患

4. 自分が解決できないと思い込んでいる問題に対しては、自分を責めるか、他者に頼るまたは責めるそのいずれかになってしまう。→観点の固定に気づいてそこに正しく絶望しない限り、解決はない。