今夜は令和哲学カフェのアーカイブ動画を視聴しました。
水曜日はパスカルを取り上げているのですが、今回はスペインから出演しているマキさんが、フラメンコのプロということで、フラメンコと令和哲学について語ってくれました。
フラメンコができた裏に虐げられたジプシーの涙があること、その悲しみを体現したものだと聞いて、華やかに見える踊りの裏に涙があることに感動しました。
一方で、マキさん曰く、フラメンコは個人の絶望で止まっていてそこからプラスに反転してしまうという限界を抱えていて、そこをマキさんがこれ以上否定できないところまで否定して、源泉動きまで繋がったフラメンコに次元上昇させようとしているのを感じてとても感動しました。
日本は実はスペインに次いで二番目にフラメンコのファンが多いようですが、その裏に日本が抱えている絶望があるのかなと感じました。
ディスカッションでは、AI時代に必要な踊りとは?について語り合いました。
踊りをしながら自分とは何か?というアイデンティティを確立させていく。その先に、この現実は実在しない、源泉動きしかないことが分かって、自己愛の爆発が起こる。ここで、自分が唯一無二の自分であることに気づく。そこから踊りで心とリズムのハーモニーが起こり、みんなでお祭りする要素として踊りが使われるというようなまとめになったのかなと思います。
話を聞いていて感じたことは、AI時代に必要な踊りは、人々を純度100パーセント心に接続して今ここ歓喜をさせることが必要だということですね。踊りの上手い下手ではなく、個人個人がそれぞれ自分のストーリーに裏打ちされた自分が表現したい表現をして、それが周りの人との関係性をも作り、新たな踊りや表現が生まれるイメージがきました。