死より恥を怖れる | 大自由の翼のブログ

大自由の翼のブログ

ブログの説明を入力します。

今夜は、会社帰りに別の用事があり、一部を除いて、令和哲学カフェのアーカイブを視聴しました。

SAMURAIを哲学する | 令和哲学カフェ

https://reiwaphilosophy.com/

水曜日は、坂本龍馬を取り上げて、SAMURAI精神を深めていますが、今回は坂本龍馬の名誉とは?という投げかけでスタートしました。
昨日の新渡戸稲造の武士道で名誉を取り上げましたが、その流れを汲んでのストーリー展開だったようです。

今日は順番に関係なく適当にざっくばらんに書きますね(笑)。

名誉とはそもそも何なのか?というのがありますが、今回のディスカッションの中で、名誉は自分の役割、ポジションを全うすることであり、それが全うできないことは、死ぬことより恥であるという話が質疑応答の話であって、SAMURAIの心の器の大きさを感じました。

坂本龍馬も、「武士は食わねど高楊枝」という言葉を残す通り、どんなに空腹でも気位を高く持ち、恥ずべきことをしてはならないと言ったり、「恥と言う事を打ち捨てて、世の中のことを成すべき」「世の中の人が何とも言わば言え。我なすことは我のみぞ知る」と語るなど、恥を怖れずに、自分の役割を全うする一義さを感じました。

では、なぜここまで龍馬は恥を恐れず強い意志を持つことができたのか?を考えた時に、自分の我役割を全うするということもそうですが、龍馬のアイデンティティが身体の自分ではなく、社会や日本そのものになって、そこから世界を渡り合っていくために、何をなすべきか?を考えていたのだと思います。究極的に言えば自分の使命やミッションは何か?という問いがあったのではないか?と感じました。

この背景として、プレゼンの中で、龍馬が起きた時代はある意味前代未聞の出来事や問題が起きていたというのがあり、今までの常識ややり方が通用しないというのがあったため、それが龍馬にさらに使命感を持たせたのはあるのかなと感じました。

今の時代も、コロナパンデミック、スタグフレーションなどの経済危機、ロシアのウクライナ侵攻、気候変動、AIの誕生、シンギュラリティなど、明治維新の時以上に前代未聞の出来事がたくさん起きています。だからこそ、これまでの常識ややり方ではなく、新しい概念が必要な時代になっているとも感じました。そんな新しい事をやる勇気が今は必要なのかなとも感じました。

使命という話から、自分の使命を知るために必要な事とは何か?というお題でディスカッション。

使命とは何か?と言われてもすぐにはピンとこないので、とにかく実践行動。そこから本当の自分とは何か?に対する問いが出て、広い問題意識を持つことができる。そして、そんな広い問題意識から、自分が何と同一化するのか?日本や世界と同一化できるのか?という大きなアイデンティティになる。しかし、体の自分に戻ってしまうこともあるので、大きなアイデンティティと小さなアイデンティティを行ったり来たりして、考えに囚われなくなるという整理がなされていきました。

話を聞いていて、悟りのプロセスを聞いている感じがしました。出演者からも誰もが通りそうな道だよねという話が出ました。

令和哲学者ノジェス氏からは、使命というものを考えた時に、普遍的な人間が何を知るべきで、何を実践するべきで、何を希望するべきなのか?を考えた時に、まずはアナログ言語の問題を知ること、そしてアナログ言語が不完全であることを知った上で、心の動きを言語化して、151の完全言語を使っていく事。そして、1→5→25→125→と尊厳関係場コミュニティを作っていくことという話でした。

前代未聞の問題が色々出てきているのは、明治維新の時も今も同じですが、問題の根本原因を知り、時代のミッションを知り、基準点を変えていくことが大切だと感じました。

今日も言葉では言い尽くせない気づきと感動があり、不思議な感覚になっています。