葉隠と西洋哲学が融合していく | 大自由の翼のブログ

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今夜も令和哲学カフェを視聴しました。

SAMURAIを哲学する | 令和哲学カフェ

https://reiwaphilosophy.com/



強烈な眠気と疲れに襲われながら参加していたので、集中できていない状態でしたので、あまり何を話をしたのか?何がディスカッションされたか?覚えていません。


が、今回プラトンのイデアが葉隠の世界と融合できてしまうということを感じることができました。


プラトンは理想国家について語っていますが、個人が独立して存在しているわけではなく、国家という共同体があって個人がいる、個人と共同体がイコールで繋がっているのが理想国家なのかなと。


それと葉隠がどう繋がっているのか?というと、葉隠も職域奉公と言って、個人がやりたいことをやるということではなく、国家、共同体、葉隠の時代で言えば、藩のために公共人格たる国家に対する各人の任務が定まっており、この任務を守ることを言っていることがつながるのかなと。


ただ、個人主義の現代では、これらのことは自己犠牲とか全体主義の考えに繋がりやすくかなり抵抗が出やすいのではないか?と感じました。カフェの中でも似たような話がありました。


この抵抗をなくすためには、人間とは何なのか?生きるとは何なのか?を明確にした上で、最も深くオールゼロ化すること、永遠不変の動きそのものしかないことが分からないと無理だと感じました。体の自分があるままでは、葉隠やプラトンの理想国家の話は理解されないと感じました。


兵法の道理=善のイデアの認識という言葉が印象に残りました。


すみません、やはりカフェに集中できない自分にイライラしてしまい、かなりムカついているので、明日アーカイブを見て改めてブログを書きたいと思います。