今夜は、SAMURAI道場に参加しました。
本日も、深い学びをすることができました。
今回の道場では、今ここ自分が物質で見るのか?心で見るのか?をポイントに挙げていたと思います。
物質で見れば、それは脳の奴隷になり、言語、感覚、存在、思考、行動、関係性、リテラシー、エンジンが全てクローズになってしまう。
一方、心で見ることができれば、デジタル言語から、(心)感覚、存在、思考、行動、関係構築、リテラシーが、オープンになり、歓喜エンジンになるという話が対照的で、SAMURAIは心で見るトレーニングをしなければならないことを再認識しました。
SAMURAIなら、今ここ、物質で見たいのか?心で見たいのか?自分自身に問うて見る必要があるという話に身が引き締まる思いでした。
現代では人類の99%が、手段方法関係なく勝ちたい、その裏には常に状況、社会環境、自然環境からストレスプレッシャーがある。常にこれらの変化に対応しなければならないので、一貫性、持続性、客観性を持つことができない。従い、自発性、主体性、能動性を発揮できないという話に改めて、脳感覚に支配される地獄を感じました。
このためには、ゲームチェンジ、プレートチェンジが必要という話に得心したのですが、ブレイクアウトの中で、一緒に参加していたご年配の方が「ゲームチェンジ、プレートチェンジができる0.1%の人たちが、99%の人に伝えるには、子供でもわかるような表現が必要だ」と話されたことに共感しました。
いくら、自分たちがSAMURAI精神を会得したとしてもそれを周りの人たちに伝達して、興味関心を持ち、その人たちがSAMURAI精神を持つためには、表現力は大切だなと感じました。
話の中で、「存在が変化移動する言語を使っていては、主語と述語のマトリックスに捕まってしまう」という話がとても分かりやすく、かなり共感しました。本当に人間のこのマトリックスにつかまれて雁字搦めになっていると感じます。
最後に、令和哲学者ノジェスさんから、最近「犬のお巡りさん」の歌がかなり気に入って、歌う場面がありました。
迷子の迷子の子猫ちゃん、
あなたのお家はどこですか?
お家を聞いても分からない
名前を聞いても分からない
にゃんにゃにゃん、にゃんにゃんにゃにゃん
泣いてばかりいる子猫ちゃん
犬のお巡りさん
困ってしまって、
ワンワンワワン、ワンワンワワン
この歌詞を聴いて、名前を用途機能、お家を存在、現実画面が立ち上がる出発点とするならば、この歌はそのどちらもが分からない、つまり今ここ目の前に広がる現実画面が何なのか?分からないと言って絶望している歌だという解析に驚愕でした。
それでも、ノジェスさんは、この歌を「かわいいね❤️」と言っていました(笑)。
そして、もし物質で見てしまったなら、この歌を歌って心で見るようにトレーニングした方がいいという話に毎日実践したくなりました。
というわけで、少し長くなりましたが、SAMURAI道場とても楽しかったです。