出産のイメージ拡張 | 大自由の翼のブログ

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今夜は令和哲学カフェをアーカイブ視聴しました。

【8/15〜8/26】お母さんを哲学する | 令和哲学カフェ

https://reiwaphilosophy.com/

今回はフロイトを取り上げつつ、出産について深めました。

フロイトと言えば、やはり人間の無意識を発見したということが大きな功績で、その後の精神医学や心理学の発展に大きく貢献しているのだなと改めて感じました。
もう一つ気付かされたのが、フロイトが生きた時代が数学や科学、理性が重んじられるようになり、神などの形而上学から実存が重んじられるようになる中で、逆にそれらに依存することで、人間の精神や心が置き去りにされてしまうことに警鐘を鳴らしていたのかなとも感じました。
それがエディプスコンプレックスという側から見たらかなり極端な思想をも生み出しているのかなと感じましたし、またデカルトが「我思うゆえに我あり」という哲学の第一命題に対して、「自分が存在していないところから考えが生まれる。自分が考えていない場所から存在が生まれる」という言葉が出てくるのかなと感じました。

その後出産の定義について考えました。
それぞれの哲学者の出産に対するイメージが私には難しかったです。
出産の動き、出産のモナドが本来のモナドにプラスαする、言語ゲームで言語を生み出す、エロスとタナトスを反復する、他者を全て歓待するというような話が出ましたが、出産とどうつながるのか?なと感じる意見もありました。

令和哲学者ノジェスさんの言葉を借りれば、出産をどのような観点から見るか?で変わると。
一般的にはお母さんのお腹から子供が生まれる動き、つまり有から有が生まれるというイメージもあれば、無から有が生まれるイメージもあるし、源泉動き一つから生まれるとも言える。

4人の出産を経験した出演者が「出産とは全てがなくなることだ」という話をしましたが、本来あると思っていたものが実は無であるというのもある意味出産かもしれないし、また出産することは本来的に自分がなくなり、自分の宇宙がなくなったところから生み出されると定義することもできそうです。

そう考えると、出産一つを取っても、いろんな観点が出てくるので、最終的には0=♾=1になって、♾と♾の対称性しかないという結論にいくのかなと感じました。

なんだか出産のイメージ拡張が起きたと感じる一方、出産とは無限にある観点から自分がどう思い込むかだけしかないような感覚になりました。