なりたい自分になれれば幸せか? | 大自由の翼のブログ

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本日も読書会に参加して、以下の本を読みました。




以下は参加者メンバー。


今日読んだ箇所は、著者が学生時代に性適合手術を受けて、戸籍も女性から男性に変更した時の話でした。


なりたい男性に無事になれて苦痛は少なくなったけど、父親は、「どんなお前になっても娘であることに変わりない」と言われて、やはり自分は男性として見られないんだという怒りがあったことが書かれていました。


また、遠方のトランスジェンダーの友人から電話がかかってきて、「友人に殴られて、今隠れている」と言われて、理由を尋ねると、自分は男として自認はしているけど、親や祖父母に言えないし、カミングアウトしたところで理解してもらえるか分からないし、手術のために高いお金を払えないと別の友人に話したら、「お前は男らしくない」とか「本当に男の自覚があるのか?」とか「お前みたいな奴がいるから俺たちが誤解されるんだ」とか「殴られたんだから、男らしく殴り返してみろよ」と言われて怖くなったそうです。

著者は、人それぞれ事情があるのに、友人を殴った別の友人をぶん殴りたくなったと感じるとともに、トランスジェンダー同士でもこのような諍いが起きて悲しかったことが話されていました。


そして、何よりも著者がショックを感じたのは、著者自身が性というものにこだわりすぎて、周りの目線に対して怒りを無意識に感じていたことで、相手の気持ちや考え、感情をしっかり観察して理解しようとしていなかったし、共感しようとしていなかったことだったようです。


この事件をきっかけに自分自身をしっかり表現することを身につけること、そして相手に共感することを心がけるようになったということでした。


今回の話を聞いていて、自分のなりたい姿やアイデンティティが見つかり、実際そうなったとしても、本当に幸せになれるのか?問題は解決するのだろうか?と思いました。


個人個人なりたいアイデンティティがあり、それを実現できたとしても、それだけでは対立や摩擦は起こってしまうと感じました。


だからこそ、なりたい自分やアイデンティティになるには周りからのサポートが必要になると感じましたが、相手からの言動でなりたい自分にブレが生じたり、気がついたら相手に合わせてしまっているなんてこともあり得るかなと感じました。


どんな自分になれば全ての問題を解決できるのか?ということになるのですが、その質問に答えるには、自分とは何なのか?人間とは何なのか?社会で起きている多様な問題の根本原因・出発は何なのか?など本質的な質問に対する答えが必要だと感じました。


個人のことよりも個人を含めた人類全体のことを考える必要性があると感じました。