NTechマスターワンデー20211123 | 大自由の翼のブログ

大自由の翼のブログ

ブログの説明を入力します。

本日は終日以下のイベントに参加していました。


前回は、個人的に消化不良に終わり少し悔いが残ったのですが、今回は昨夜しっかり睡眠を取ったこともあり、最近にしては集中はしていたし、言葉としては結構頭に入ってきた感じがしました。

これまでの学問が不完全であり、それをオール否定する勇気を持つこと、完全学問においては、永遠不変をベースにそこからどう変化が起こるのか説明できなければならないことは理解できました。

また、学問はあるものを整理するのに対して、芸術はその整理の元に、ないところからあるものを生み出すという定義も納得できました。それは個人が生産手段を生み出せるようになることでもあるなと感じました。

ポストコロナ時代に入って、これまでの古い基準点から新しい基準点が必要になること、アメリカや日本が経済大国と言われていたけど、それが崩れつつあり、日本が、西洋の真似ではなく、オリジナリティで勝負する必要性も感じました。

人間の五感覚脳の認識で生きることは不便だと言っていましたが、最近生活していても脳の認識に制限されるのを実感するようになり、不便という話も共感できました。

不実在と実在がイコールにつながって生きる生き方がこれから必要だと感じました。これは模様形があるのとないこと、粒子と波動がイコールでつながることでもあるということはなるほどと感じました。

人間は自分を持っていると、自我で不信不安になるという特徴を持っているのも今まで言っていたのでなるほどと感じました。

そんな説明があって、この体だけが自分、自分がある状態から、どうやって源泉動きだけがある世界に行けるのか?というのを仏教の九段階禅譲を使って説明してもらったのですが・・・。

結論としては、あまり理解はできなかったなと感じています。

もちろん言葉としては頭に入ったし、源泉動きに近づくに従ってゼロスペースが拡張していくのだけれど、九段階は外がない境界線がない世界なので、脳でイメージすることが不可能であり、∞スケールが大きく、最もシンプルで、最も速いスピードの世界であり革命であるというのは言葉では入ってきました。また、九段階の世界が何か?という問いに対して、イメージ不可能なので、「知らなくていいんだ!」というノジェス氏の言葉にとても感動したし、涙すら流れました。
イメージ不可能なので疑いようもなく質問しようもなく、むしろ質問すること自体がバカのような感じというのも納得できました。質問することがバカと言いましたが、九段階禅譲に行くまでは、質問はどんどんする必要性があり、質問がこれ以上なくなるまで質問するくらいになって初めて、九段階禅譲に行くのかな?なんて思ったりもしました。

ここまで聞いても、自分の心の中に、「本当に自分は理解できたのだろうか?」という思いや「本当にこの九段階禅譲が自分の中に取り込めることができたのか?」という思いがありました。
つまり、九段階禅譲が自分の中でしっくりは来ていないというのが、私があまり理解はできなかったという言葉に現れたのかなと感じます。

今ノートを見返していますが、やはりしっくりはきていないなという感じです。

九段階がすごそうな世界で、知らなくていいんだ!の世界が理解できれば、存在や考えなどあらゆる囚われから解放されて大自由な心になれるというイメージがきましたが、そこまでにいく道筋が全然見えていないそんな感覚になっています。

私の理解は、記憶レベル、論理レベルにとどまっていて、全然それを使えるレベルにはなっていないと感じています。

とはいえ、源泉動きまでたどり着けるプロセス、道を教えてはもらったので、それを意識しながら生活はしてみようと思います。それで自分の理解度は見えてくるだろうし、何が自分に不足しているのか見えてくる可能性もありますので。

色々書いて悩んでいるように見えるかもしれませんが、気持ち的にはスッキリして落ち着いている感じです。

これでも以前よりも内容は入ってきた感覚はあるので、積み重ねていければと考えています。