こんばんは


『ユーカリ手帖』のブログにご訪問

ありがとうございます


佳寿子さんの手帳シェア会で知り合った

くまべゆみさんにお願いして

インタビューの練習にお付き合いいただきましたニコニコ


お話を伺ったのは昨年末


ちょうど南アフリカワイナリーツアーに向けて

準備の真っ只中のゆみさんでしたが

今年の2月

抱き続けてきた夢を遂に実現させました


そのときのゆみさんの記事も

最後に載せてありますので

ぜひそちらも読んでいただけたらと思います


その行動力とエネルギー値の高さに驚くとともに

勇気をもらえる人も多いはず


ご多忙のなか

拙い私のインタビューに付き合ってくださり

本当にありがとうございました!





くまべゆみさんインタビュー

「実りの連鎖」



熊本県菊池市にお住まいのくまべゆみさんにお話を伺いました。

中小企業に35年以上勤務する傍ら、

ワイン検定講師として、ワインの楽しさを広めるため精力的に活動しています。


あと5年で定年を迎えるゆみさん。

その後の人生の土台作りに意識を向けながら、今も学びを深めています。

 

 

ゆみさんとは手帳シェア会でご一緒しましたが、その行動量のすごさにまず驚きました。

平日はフルタイムで働き、休みの日はワイン会などで実践を積む日々。

週の半分は、障害のある妹さんのケアをするため実家へ。


そして、この2月に参加する南アフリカワイナリーツアーに向けて、英語やワイナリーの勉強に励んでいます。

28時間かけて行くツアーでは、7日間で17か所のワイナリーを回る予定。

そこで待つのは、収穫の時期を迎えた広大なブドウ畑。

好きになったきっかけとなったワイナリーに行けるのが楽しみだと

話してくれました。

 

ゆみさんがワイン検定講師になったのは、地元に学べる場所を作りたいという思いから。

当時、もっとワインを知りたいという好奇心から始めたワイン検定。

ブロンズクラス、シルバークラスに進み、残すは、講師になるために必要なワインエキスパートの資格のみでした。


「そのときは熊本に検定講師がおらず、福岡まで受けに行っていました。

でも、熊本にも講師が必要だと思って。

そういうことがやれないかなと、素敵な勘違いをしたんです(笑)」


そこで先生に直談判。


「先生みたいな検定講師になって、熊本でワイン検定を開催したい」


すると、人数を集めて場所を確保したら、熊本でワインスクールを開講してもいいとの返事が。

「熊本まで通いますよ」

という先生の言葉に、ゆみさんのアクセルは全開!

 

いろいろなところに声をかけ続け、

最終的に、開講可能人数を上回る計9名からの申し込みがありました。

そしてその年の2月にスクール開始。

この勢いで一気に進んでいこうと動き出した矢先、4月に熊本地震が発生します。

スクールは1ヶ月お休み。


「1か月休んで戻ってきたら全部忘れていて(笑)。

でも、先生をスクールに呼んでお願いしているからには、合格しないわけにはいかない。

近所のお店で夜9時から夜中の2時まで勉強して、朝6時過ぎに起きる生活。

ランナーズハイ状態ですね。

最後の3週間は、眠くならないくらい集中していました」


その努力は実り、ワインエキスパートに見事3人が合格。

ホッとしたと、当時を思い出しながら話してくれました。


「遠い先を見ていたわけではなく、今、必要なことのために動いていました。

熊本に検定講師が欲しい、ただそれだけ。

地元にそういう人がいないとね。

だったら自分が勉強して講師になれば、

近くの必要な人に届く。

ワインの垣根を下げたかったんです」


大変だけどすごく楽しかった検定講師までの道のり。

現在は、受講生たちからの「合格しました」という連絡が

なによりの喜びとなっています。

 

 

好奇心が旺盛で、興味があるとすぐ行動に移すゆみさん。

それを支えているのは家族の存在だと話します。

お互いの自由を尊重し合えるご主人や、

姉妹の助けがあるから、やりたいことにチャレンジできる。

自分一人だったら自由かというとそうではなく、

家族や仲間との交流がある中での自由に、感謝の気持ちを感じています。

 

また、27歳でリウマチとてんかんを発症したことも、

行動量を上げた理由の一つだと教えてくれました。

強い薬を使うため子どもをあきらめざるを得ず、親に子どもを抱かせられない罪悪感でつらい時期が。

でもそんなとき先輩が、


「自分の人生、生きたらいいんやない」


と言ってくれて少し気が楽に。

「自分らしく生きていきたい」と前を向いて進み始めたとき、再び試練が訪れます。

30代で子宮頸がんになり、5年ほど前には膀胱がんを発症。


「私、どっちかというとガンは怖くなくて。早く見つかったら治るって思っているんです。

何が原因か分からないし、治るかどうかも分からないリウマチが先だったから、

なおさらガンは怖くない。

でもリウマチは、関節が悪くなったり腱が切れたりするから、

今年はできたけど、来年はできなくなることがあるかもしれない。

だから、やりたいことはやらないとって思うんです。

一年でも早くチャレンジしたい。来年できていたらラッキーやんって。

そういうことが30代であったから、なおさら行動が速いかもしれないですね」

 

そう思うようになったきっかけがもう一つ。

それは、9年前に突然死した母親の存在。

亡くなる2日前に電話をしたとき

「晩御飯の約束してなかった?」「してないよ」「じゃあまた行こうか」

というのが、母親との最後の会話になりました。


「いつエンドがくるか分からない人生だから。何でもやれるわけじゃない。

だから、日常の生活を大事にしつつ、やりたいことはチャレンジしていくべきだと思います。

じゃないと、もったいない。

母親の姿を見ると、自分もいつそうなるか分からないし、

天寿を全うするまで、後悔しないようなチャレンジをしていきたい」

 

 

一年後の自分がどうなっているか分からないのは、誰もがもつ事実。

ゆみさんは、その事実を直接肌で感じ、目の当たりにしたとき、

こわくなって縮こまるのではなく、

「じゃあ今、何ができる?」

という“今を生きる力”に変えていきました。


何もなかった土地に種をまき続けたことで、身近にいる人たちを動かし、

実りの喜びをつないでいったゆみさん。

挑戦し続けたその先に待つ南アフリカの大地で、

夢を叶えた喜びにあふれた笑顔を、

たくさん咲かせているだろうと感じました。