「先生と一緒なら頑張れます」「先生の授業なら楽しく勉強できます」という生徒の言葉をどう捉えるか? | 江東区の家庭教師&ライターのみみずく~半蔵門線・大江戸線沿線及びオンラインで指導中~

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塾や家庭教師など、同業者のサイトやブログには、

生徒や保護者の声が掲載されていることが多いです。


具体的には、次のような内容です。


「先生と一緒なら頑張れます」

「先生の授業なら楽しく勉強できます」


こういうのを読んだ生徒や保護者は、

「この先生なら良さそう」と思って

入塾などの問い合わせをするのでしょう。


同業者の側としても、

宣伝効果を見込んで生徒たちの声を掲載しています。


このことが悪いとは言いません。


ただ、僕は思うのです。


「先生の授業なら楽しく勉強できます」

「先生と一緒なら頑張れます」などの評価は、

生徒にとって本当に良いことなのか?と。


僕は天邪鬼な性格なので、

上の評価を次のように解釈してしまいます。


「先生と一緒でないと頑張れません」

「先生以外の授業は詰まらないです」


数学的な逆・裏・対偶の話であれば、

冒頭の評価が正しいからといって、

僕の天邪鬼な解釈が正しいとは限りません。


しかし、経験則上、

塾や家庭教師に依存している生徒の多くは、

学校での勉強や自学自習に向かない傾向にあります。


彼らは、塾の先生に教わらないと理解できない、

塾の自習室にこもらないと一人では勉強できないなど、

本当に意味で勉強を楽しんだり頑張ったりできないのです。


それでも、高校受験くらいまでなら何とかなります。

塾や家庭教師にべったりでも結果を出すことは可能でしょう。


問題は、高校入学後です。


高校は中学までと異なり、予習が必須だったり、

学習内容が極端に難しくなったりと大変です。


そのため、誰かに依存しているだけではなく、

自分で考え取り組んでいく主体性が大切ですし、

詰まらないことでも継続できる堪え性も必要です。


無味乾燥な教科書や参考書を自分で読み込んだり、

詰まらない学校の授業をしっかり聞いたりするスキルは必須です。


そう考えたとき、

冒頭の評価の危うさが明らかになると思います。


塾や家庭教師への依存を強めれば強めるほど、

その生徒は主体性や堪え性を失っていくのです。


それでも、指導者が、その生徒の面倒を

高校卒業までしっかり見るなら問題ないでしょう。

(同時に、保護者が裕福であることも大切です)


が、実際には、

「中学受験まで」「高校受験まで」という指導者が

冒頭の評価を誇らしげにサイトなどに載せています。


こういう指導者にとっては、

教え子たちの高校入学後の人生よりも、

自分が教えている最中の生徒の声が大切なのです。


現在指導中の生徒が「楽しい」「頑張る」と言えば、

それが次の生徒を獲得する上での宣伝広告になるからです。


「学校の授業が分からないので、

先生だけから授業を受けたいです。

コマ数を増やしてほしいです!!」


こんなことを生徒から言われようものなら、

指導者は嬉しさのあまり頬が緩んでしまいますよね。

懐も温かくなって、幸せなことこの上ないでしょう。


そして、こうした生徒からの要望は、

まるで美談であるかのようにサイトなどに掲載されるのです(笑)


一方、本当に良心的な指導者ならば、

「学校の授業が分からないので……」と言う生徒に

「学校の授業を何とか理解できるようにしろ!」

「先生に頼らずに自習時間を増やして対応しろ!」

突き放すことも厭わないのではないでしょうか?

(理解のサポートや自習のアドヴァイスはするはずですが)


以上のように考える僕は、

冒頭の評価を掲載している同業者を

あまり信用しないようにしています。