ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人 | よろず「ゆんたく」広場

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ぎのわんシティFM「水曜ちゅらちゅら作戦」でパーソナリティーを務めるコギーのブログです。
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大人気ブログ「ねずさんのひとりごと 」の筆者である小名木善行さんが、先月初めての著書「ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人」を上梓されました。この本は、「ねずさんのひとりごと 」で取り上げてきた日本人に関するエピソードのうち、20のエピソードを厳選し、加筆、修正のうえ単行本にしたものです。



本のタイトルにあるように、この本を読めば日本人であることに誇りが持てる内容になっています。この本は結構売れているようで、紀伊国屋新宿南店での売れ行き週間ランキング2位を獲得するなど、主要書店では軒並み売れ行きランキングの上位にランクインしています。


この本で取り上げられている20のエピソードのうち、最も印象的だったエピソードを3つ紹介いたします。まずは、槍先型尖頭器を発見した相澤忠洋さんのエピソードです。


相澤さんは昭和42年に吉川英治賞を受賞しましたが、槍先型尖頭器を発見してから21年もたった後のことでした。それまで相澤さんは納豆売りの行商で、考古学の専門家ではないということなどもあって、考古学の専門家などからは詐欺師呼ばわりされるなどひどい迫害を受けました。相澤さんによる槍先型尖頭器の発見については、考古学の専門家の妬みを買い、相澤さんは古い廃屋に住むことを余儀なくされるなど経済的に追い込まれました。


それでも、相澤さんは考古学に対する研究を怠らず、専門家からの中傷をもろともせずに発掘を続けました。その結果、昭和42年に吉川英治賞を受賞し、さらには昭和天皇からも高く評価されることになり、平成元年には勲五等を授与されることになりました


次に紹介するのは、秀吉の朝鮮出兵です。1592年から1598年にかけて行われた朝鮮出兵については、秀吉による朝鮮への侵略行為というふうに学校教育で行われています。ひどい場合になると「朝鮮侵略」というふうに教科書に書かれています。


しかし、秀吉の朝鮮出兵の目的は決して侵略などではありません。当時、スペインが明国を植民地にする恐れがありました。それが現実のものになると、明国から朝鮮半島を経て、スペインが日本に攻め込んでくる恐れがあります。スペイン軍と明国軍が手を組んで日本に攻めて来たら、日本もスペインの植民地になる恐れがあったのです。


そこで、秀吉は朝鮮半島をスペインと日本の緩衝地帯にすることで、スペインが日本に攻め込んでくるのを防ごうとしたのです。朝鮮出兵はまさにその防衛的な意味のもとで行われたもので、自衛のための出兵なのです。また、朝鮮出兵と同時に秀吉はスペインに対して、日本への入貢を再三求めてきました。そうしないと、スペインが日本に攻め込んでくるという懸念をぬぐえません。しかし、スペイン側は日本からの要請を無視し続けたため、朝鮮出兵はどんどん長期化しました。


その朝鮮出兵は秀吉の死去によって終了しました。日本兵が朝鮮半島から引き上げることになったのですが、決して朝鮮に敗れたわけではありません。また、朝鮮出兵がなければ、明国はスペインの植民地になっていた可能性が高かったのです。朝鮮半島も然りでしょう。


それが実現しなかったことを考えれば、朝鮮出兵は日本の独立を守るという目的を達成したのみならず、明国、朝鮮半島をもスペインの植民地化という魔の手から救ったことになります。これで侵略行為というのは、無理がありすぎます。


最後に紹介するのは、インパール作戦に従事した日本兵です。インパール作戦とは、昭和19年3月から6月にかけて行われた、日本陸軍はビルマからインド北東部の要衝であるインパールを攻略する作戦で、インドの独立運動家チャンドラ・ボースの要請を受けて実施したものです。


このインパール作戦では、日本兵の多くが飢えて衰弱し、マラリアや赤痢にかかって亡くなってしまいます。沿道には延々と日本兵の腐乱死体や白骨が折り重なっていたことから、白骨街道とも呼ばれています。それゆえに、インパール作戦は無謀だったと評価する向きがあります。


しかし、インドでは、インパール作戦によってインドの独立が促されたと評価されています。先述のように、インパール作戦がインドの独立運動家チャンドラ・ボースの要請を受けて実施したものである以上、この作戦の目的がインドの独立であったのは明白です。インパール作戦の翌々年にインドが独立していることを考えれば、その目的はすぐに達成したとはいかないまでも、達成のきっかけになったことは紛れもないことでしょう。


インパール作戦に参加した兵士は誰一人として勝手に降伏したりせず、最後まで戦い抜きました。これを目の当たりにした英国軍がインパール作戦の勝利を祝わなかったほどです。英国軍は、この日本軍の戦いぶりを見て勝った気が全くしなかったというのだから驚きです。


そして、餓鬼や幽鬼のような姿で引き上げる日本兵は、誰一人退去途中の村を襲っていないのです。銃を持った敗残兵が退去途中の民家を襲って食料を奪うのが世界常識だった中において、インパール作戦に従事した日本兵は誰一人そのような行為を行わなかったのは、まさに大和魂のなせる業です。


このように、歴史教科書では教えられない、日本人として誇りを持てるエピソードが詳しく紹介されている本が出版されたことは、大変喜ばしいことです。「ねずさんのひとりごと 」では、そのようなエピソードが非常に多く紹介されており、今回の本で紹介しきれなかったものも多々あります。そのようなエピソードを紹介するためにも、この本の第二弾の出現が今から待ち望んでいます。