ブログを始めたばかりの私。
2014年秋、乳がんが見つかってから、情報を得るために検索する中でいろいろなブログを見つけ、さらに「病気ブログ村」を知り、「乳がん」のグループがあるのを知り…。でも自分でブログを書くことには少し抵抗というか遠慮がありました。

まして「オフ会」って、どういう雰囲気のものかもわからず(普通に、ブログを通じて知り合った方々とお会いすることなんですね…)、天音さんのサイトもちょくちょく拝見していて、オフ会開催を知った時、私も関西在住なので病気のことを分かち合える仲間が欲しい!と思いましたが、やはり遠慮があって見送りました。

天音さんや、参加された方々の文章を読ませていただいて、勇気を出して参加させていただいたら良かったな…と思いました。

私がかかっている病院は中規模の普通の総合病院で、がん患者会とかはなく、主治医も乳がんだけを診ておられるのでもなく、語り合える場はありません。

やっぱり体験を共有できる場って大切ですね。

次の機会があれば参加できたらいいなあと思っています。

皆様と共に、がんと共存していきたいと心から思います。


↓病と闘う多くの方のブログを読むことができます。

にほんブログ村 病気ブログ 乳がんへ
にほんブログ村

にほんブログ村 病気ブログへ
にほんブログ村

乳がんとは本当に罪な病気だと思う。

他のがんと比べ、若い女性がかかりやすい。
働き盛り、育児中、介護中…自分と家族と社会のためにフル活動中の女性を襲う。

病気の発見を境にあらゆることが変わってしまい、本人も家族も大きな渦の中に放り込まれて力任せに振り回され続けているよう。

子供の成長を見届けるまでは死ねない。
老いた親より先には逝けない。
せっかく積み上げてきたキャリア、病気のためにあきらめたくない。
とにかく、まだまだしたいこと、しなければならないことが山ほどある。

乳がん発症のピークのグラフを見ると50歳前後。まさにそこに当てはまった私。

もっともっと若い方も多い。

思いがけない病気の告知を受け、とにかく情報をと様々なキーワードで繰り返し検索をかけた。するとこんなにも多くの方々が、闘病ブログを綴っておられるのだと初めて知った。

病気の進行をうかがわせる記述…。ある日を境に途切れたままの記録…。
ほんとうに、ほんとうにつらい。
お会いしたことがなくても、他人事とは思えない。

自分もやがてそうなるのではという底知れぬ恐怖。

でもその恐怖を意識の裏側にやり、今を大切に生きてゆけばいい、その「今」がいつしか数知れず積み重なって、「天寿がん」となることができるかもしれない。

絶えず気持ちは揺れる。今元気で生きている、これで良いのだ、と心から思える時と、こういう日の終わりが、自分が思っているよりも早く訪れるのかもしれない、という不安にさいなまれる時と。

うまく書くことができないけれど、病気をしたことで今まで気付かなかったことにたくさん気付いた。いろいろな方が書いておられるように。

それらを、繰り返し書いていきたいと思う。
そして、できれば病気になる前から、それらに気付いておけばよかったと思うことを、「健康」な世の中の皆様にお伝えしたい。

また、こんなにも罪な病気である乳がんで苦しむ人を一人でも少なくしたい。

何ができるかまだ具体的ではないけれど、何とかしたい、自分にできることをしたいと、強く感じている。


↓多くの闘病中の方々のブログを読むことができます。

にほんブログ村 病気ブログ 乳がんへ
にほんブログ村

にほんブログ村 病気ブログへ
にほんブログ村
時系列でなくて申し訳ないですが、自分がそれに直面した時すぐに知りたい!と思った情報を書かせていただきます。

一連の検査の結果転移はなく、しこりは1,5センチ、術前化学療法を開始。

FEC1回目終了後、点滴をした右腕の手首からひじの内側にかけて、皮膚が引きつれ、変な筋?ができているのに気付きました。そしてその筋に沿って痛みます。
これが血管痛だったのですね、その時は神経痛?筋肉痛?ひじを痛めるようなことしたっけ?と思っていました。

2回目左腕、3回目右腕の別の血管で、と進むうちに血管の痛みや引きつれとして感じられるようになり、これが血管痛か、と自覚しました。そういえばこの期間はずっとひじが痛かったです。
FEC4回目を左腕でした時は点滴中から血管に沿って鈍い痛みを感じ、さらにドセタキセル1回目の時はかなり痛い感じでした。看護師さんに見てもらい、漏れはないのを確認しましたが。

左腕の手首からひじの内側に回ってきている血管は、皮膚の上からもあちこちにコブコブができているのが見え、血管が固くなっているのが分かります。ここにさらに抗がん剤を打つのは難しそう。右の血管も固くなっているし、ずっと痛みがあります。

…ということで、まだまだ抗がん剤が続く私としては主治医と相談してCVポートを作ることにしました。

私はドセ1回目の副作用がひどすぎて中断、手術を先に行い、放射線後、術後化学療法として今度はパクリタキセルをすることになり、その前にポートを作りました。日帰り手術です。

簡単なものとはいえ手術は手術、説明を受け、同意書などを書きました。
当日は自分で車を運転して一人で行って一人で帰りました。大丈夫でした。

9時半に外科の外来に行き、外来の看護師さんから説明を受け、一緒に手術室に行って手術室の看護師さんに引き継いで、名前や何の手術をするかなどの確認。
それから更衣室で手術着に着替え、ウイッグもはずして手術室でかぶる帽子をかぶり、看護師さんと手術する部屋へ。

乳がんの手術の時はやっぱり緊張していて、詳しく見られなかった手術室内。今回はきょろきょろと観察。大小いくつも部屋がありますね。今度は乳がん手術の時よりは狭めの部屋に入りました。

手術台に上がり、今回は局所麻酔だから意識はあるし、いろいろ見学する気満々(息子からも、どんなところか教えて~と言われている)。

血圧計やら何やらをつけ、手足の位置を決めて固定し、私は左胸に埋め込むので、術着の左袖を片肌脱ぐ感じで脱いで、消毒したりなどなど。移動式のX線の機械が上にかぶさってきて、映像が横のモニターに映っているのを横目で見たりしてました。でもそのあたりで看護師さんに「ごめんね~」と言われてブルーの薄いシートをすっぽりかけられてしまったので、あとは周りの声を聞くのみ。痛かったり苦しかったりしたら何でもすぐに言ってね、と言われる。

まず首のところを小さく切ってカテーテルを入れるそうで、先にそこに麻酔の注射。ちょっと痛いけど深呼吸して紛らわす。X線の画像を見ながら、心臓の方に向けてカテーテルを入れている様子。胸の中に入っていくのが感じられ、ちょっと苦しく、心臓がドキドキッと動くのがわかる。ドクターに「今心臓がドキドキしました」と言うと、カテーテルが入っていったので一瞬不整脈が起きるのですよ、とのこと。

それから今度はポートを入れる胸のところに麻酔の注射。ちょっと痛いけど我慢。このあたりから痛さは継続(我慢できないほどではない)。

ポートを入れる場所を作っている?様子。
手術中、時折ドクターは「痛かったら言ってくださいよ」と声をかけてくださる。見えていないからわからないけど、たぶん刺したままの針から麻酔を追加してるのでは。ドクターが皮膚を切っている?時、痛みを感じたので「そこ、痛いかもです」というと麻酔追加してくれた。

そして一番の難所が、首のところから胸のポートのところまで、10センチほどの血管にカテーテルを通す作業。けっこう力技というか、ドクターは私の顎の下あたりに手を当ててカテーテルを血管にグイグイ押し込んでいる様子。シート越しに押さえつけられている感じでちょっと苦しい。ドクターも、ここが肝心のところだから頑張ってくださいねなどと声をかけてくれつつ、頑張っておられる。

カテーテルが血管を通ってポートのところまで出てくると、あとはそれをポートにつないで固定し、傷を閉じて終了、だと思う。

こうやって書くとすぐみたいだけど、10時に手術室に入って、終わったのは11時半だった。準備や、手術中には位置の確認や何やら、全部は覚えていないけれどいろいろな作業があった(と思う。見えていないけど)

傷口2か所はテープを貼って、白いパッキンみたいなの(桃などをくるんでるみたいな)で保護されていた。カテーテルを通すためにギュウギュウした鎖骨のあたりは真っ赤に内出血していて、それが予想外にグロかったのを報告します。

それから着替えて、ドクターと手術室スタッフの皆さんにお礼を言って、迎えに来てくれた外来の看護師さんと外科外来に行き、術後の注意点などを聞いて終わり。痛み止めの薬が出ました。

支払いは50440円。(保険本人3割負担)

思ったよりはちょっと大変で、その後2,3日は痛かったし、あざが消えるまでは胸がすごかったし、ポート自体の違和感に慣れるまで少しかかりましたが、何と言っても簡単なこと!プスッと刺すだけ。点滴中も両手が使える。毎回、ポートは便利~と思います。


↓闘病中の皆様のブログが読めます。

にほんブログ村 病気ブログ 乳がんへ
にほんブログ村

にほんブログ村 病気ブログへ
にほんブログ村