(266)武士のマニュアル・切腹
「武士道」とは何か?となれば、“国民的名著”がありまして、新渡戸稲造(にとべ・いなぞう)先生が明治三十年(1900年:和訳は矢内原忠雄・昭和13年)に英文で著した一冊に尽くされていることになっています。
でも、内容は道徳というか、精神というか、形而上のもの、ホントの武士たちとは距離があると多くの研究者が指摘しているとか。
もし、江戸時代の武士が、新渡戸先生の『武士道』を読んでも、深い感銘を受けることはないだろうし、むしろ失望を覚える武士も多いのではないか、自分たちが過剰礼賛されているのを知って、赤面する方々もいたんじゃないか?と指摘されております。
実際に武士が知りたがったのは、現実というか、「じゃあどう行動するか?」を知りたかったはず、つまり「武士のマニュアル」、あるいは「武士の手引き」、「武士心得帳」などが欲しかったに違いないという。そう聞けば、なるほどと納得できる。
そこで、古文書に埋っていた氏家幹人先生が、多くの古文書から「こんな所でしょうかね?」と以下を選び出し、紹介しておられる。解説がいいから理解が簡単、これが結構面白い。古文書などまったく無関係の筆者が再度ご紹介するが、間違えたらゴメンナサイ。
『番衆狂歌(ばんしゅうきょうか)』・・・・・・新人旗本用マニュアル
誰が書いたか分っていない文書だが、一般的心得を二百数十首の狂歌に詠んだもの、由緒正しい資料だとかで信頼できるとか。現代サラリーマン
にも通じそう。新人を相手に記している。
上司を敬うこと
●ご番入り(ばんいり)召さば親類同道し 稽古番には頼め相番(あいばん)
●御番入り御礼参りにご老中 若年寄衆頭(かしら)へも
ゆく
「番入りを仰せつけられるときは、本人だけでなく主だった親類のものも同道せよ。見習いのため出勤した際には、何事も先輩格の同役に聞くように」
本人ばかりでなく親類一同にとっても番入(就職)は重大事だった。職場での心得はまず先輩たちの顔を立てること。お礼参りは欠かせない。「お礼参りに参上するなら、老中や若年寄だけでなく(上司となる)番頭のところにも」。
●
「あまり早く出勤するのは感心しない。かといって、半時(一時間)遅刻するのもよろしくない。」遅刻が一時間というのがノン ビリと江戸らしい。かといって勤務時間を過ぎ、いつまでもダラダラと退所しないのも駄目なんだそうです。
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「なんと、職場(蕃所)ではときどき盗難事件が起きていた。だから「所持品はそれぞれが気をつけ、盗まれないように」というのでありますが、フーンそうなんだ。
さて、続いて塚原ト伝作と伝わる『ト伝百首』などが紹介されていますが、実戦的な命のやり取りに関する武士のマニュアル、緊張感はありますが、それほど面白くはない。何故か女性を徹底的に嫌っておりますね。
次に『武士とは』などが紹介され、『葉隠れ』を聞き書きさせた方かと思いますが、元佐賀藩士、山本常明の【試し斬りの検分方法】などがあります。よく知られる切腹関係のマニュアルかと思われます。
【切腹】は武士を語るときに避けては通れない。江戸末期に工藤行広が著した『自刃録』がよく知られているらしいのでありますが、内容が陰惨で読むに堪えないと、ご不満の読者もおられるだろうけど「しょうがない」、と著者も書いています。たしかに筆者も一時的に食欲が失せました。なんか凄いんですよね。
そうはいっても切腹ばかりしていた訳ではなく、反対に二百六十年間ほど、平和で何事もない。だから身近では切腹なんてことがありませんで、そうなると誰もが知識を失っていたんですね。
そうはいっても武士としては、知っておかないと困る・・・・・・「一応書いておく」、なんて程度の話でしょう。
いい例は、嘉永六年ペリーが浦賀に来航したおり、鎧兜を買い揃えようと具足師のもとに武士が殺到しました。だれも甲冑なんて持っていません。あっという間に売り切れたそうです。それはいいとして、今度は甲冑の着方(付けかた)が分らず「甲冑着用指南」は、文字通り甲冑の着方を図入りで解説した書。これが緊急出版され大量に売れたみたいです。
そのような次第で、実用ではないのですが、でも、武士としては最低知っておかないと。
試し斬りは、屍の切り口に手を入れ、あばら骨などが元の位置で原形のまま切断されていれば合格。押しつぶしたようにひしゃげていれば不合格だとか。実際にもっと血生臭い作法は、試し斬りや切腹する人より、介錯人の作法ですと。【首の皮一枚残して】切断するのが理想だけどそうは巧くいかないとか。
また「首の目付けは、その人の後ろの髪の生え際をめざして、まっすぐに刀を振り下ろせ」と書かれています。昔は、切腹人の首は胴からまっすぐに立っていたので、介錯人は、幾分刀を斜めに振り下ろしたけど、近年は姿勢が変わり、首を前に傾けるようになったから、振り下ろす刀が少しでも斜めになると、刃が切腹人のあごに切り込んでどうしようもなくなる。そうなったら、反対に刃を引くようにするといい。下手をすると最初から切腹人の肩を切り下げることになるんですと。
それから、切腹人が考えるより先に先に、儀式を進めちまうのが大事。跡かたづけもサッさとすますんだそうです。
食欲が失せるのでこれ以上はご遠慮しますが、まあ、残酷というか陰惨というか、【実際に切腹というのは殆どなかったんですが】、でも武士たるもの、嗜みとして「その位は知っておく」ということでしょうか。
幕末の外科医、松本良順さんの父親の佐藤泰然さんは、佐倉に順天堂医学校を開きますが、麻酔薬は一切使わずに手術していた。こういう背景を知ると、マアできるかもしれない・・・・・・と感じます。「万が一死ぬことがあっても決してお恨みいたしません」と患者から一筆とっており、記録が記念館に残っていました。
最も困ったのが、例の忠臣蔵の時でして、赤穂浪士らは「討ち入ったとき命を捨てる覚悟」でしたから、後になって切腹するなどまったく考えておらず、「切腹の作法」を知らなかったのも不思議ではない。しかし、浪士たちの切腹の様子に対する評判はよくなかった。悪評だったと『本所敵討ち』と題する史料に記されているとか。
四藩の下屋敷で46人の切腹が執行され、いずれも「脇差取り上げ戴くと同じく首打つ由(三方の上の脇差を捧げ持ち頭を下げると同時に首を打ち落とされたということだ)」と記した後、『本所敵討』の作者は『さすがのものどもに候へども遅れ候。侍は心得あるべきものなり』と書き記したという」。「1.5センチほど刃先を腹へ突き立てたとき」、というのが理想的なんですが、難しいでしょうね。
「勇気ある人たちだったが、侍は知っておかないとなあ。いつ何があっても・・・・・・」と惜しまれているみたいです。武士であることは、運によっては大変だったみたいです。
切腹するときに使う刃物はたいていは裸の刃物だけ、これを布だとか紙だとかでキッチリ 包んで、この理由は切腹人が錯乱して介錯人だとか、周囲の人々を襲っても被害がでないように考えているそうです。そのうち扇子などを三方(刃物などを載せる台)に置き、これを持ち上げるか否かのとき、えいっと。
切腹といっても実際は首を切る処刑法です。日本刀は世界で最も鋭利な刃物、剣術に詳しく、雑誌文藝春秋で、すえもの斬りを実験した剣豪小説家の津村陽氏は、「見た目は残酷だろうが、最も苦痛が少ない処刑法」と書かれています。幕末に日本に滞在した欧米人は、心理的に日本刀が非常に怖かったと伝わっております。
引用本:『武士マニュアル』氏家幹人著 メディア・ファクトリー新書 2012年刊
