(271)『夢声戦争日記』
徳川夢声(1894~1971)はもと無声映画の活動弁士でしたが、異能多才の人で、優れた映画俳優であり、声優、講演家、漫談家、随筆家、俳人、歌人であり、昭和十四年上期の直木賞候補にもなったほどの多才ぶりを発揮した人でした。
溢れんばかりの才能が遺憾なく発揮されたのが『夢声戦争日記』だとされます。開戦から敗戦にいたる千二百ページの長大な手記は、戦争の日々の世相見聞録であり、その他ほとんどの項目を網羅した貴重な記録となっているとか。食い物に関心がある向きには、戦中の食生活が克明に記してあり、「食えない」つまり「本当に食料がない」とはどんなものかをリアルに教えてくれます。
この人は別に食道楽ではなく、一食抜いても古書や骨董に財布をはたく人だったそうですが、そんな明治男でも、猛然と腹が減ると、三度のメシをこまごまと書き記したくなるようで、「銃後の大東亜戦争」は、飢餓との壮絶な戦いでもあったと理解できます。
この日記は、昭和十六年十二月八日(月 晴 温)に始まります。
山田君が、対英米宣戦のニュースを知らせてくれる。そら来た、果たして来た。東條首相の全国民に告ぐる放送を聴く。言葉が難しすぎてどうかと思うが、とにかく歴史的の放送。身体がキューッとなる感じ。マレー沖海戦勝利、香港攻略と朗報続くこの年の大晦日、四十七歳の彼は次を詠んでいる、
<除夜の鐘鳴らす地球は廻りをり>
十七年初春。マニラ占領、シンガポール占領と大本営発表は威勢がいいが、ガソリンの使用が禁止された街には、黒煙と火花を撒き散らす木炭自動車やバスが走り回っていて、物資不足は誰の目にも明らかだ。
《日劇裏のスエヒロで一円也のランチを喰ってみる。イカのヌルヌルかき揚げ、――今日は(食肉販売と肉料理の提供を禁じた)肉ナシ・デーである》(1.8)
四月、B25本土初空襲。六月、ミッドウェー海戦敗北。米軍ガダルカナル上陸。
《明後日から野菜が切符制になる》
妻と四人の子供を飢えさせぬため、東京・杉並にある百七十坪の自宅の庭に、彼はせっせと野菜の種を蒔く。
翌十八年。配給の玄米を一升瓶に入れ、竹棒でついて糠を取る夢声の心は冴えない。
《玄米の粥を喰いつつ、ふと「高邁なる精神」というものを考える。玄米のお粥ばかり食べていてコーマイなる精神が養えるだろうか》
《大阪のホテルは、金属回収で、枕元の銀色大魔法瓶は有田焼の土瓶と替わり洋服ダンスのネクタイ懸けの金具もはずされていた。夕食には鯨のビフテキ》(3・11)
《春の夜の酒なき夜の一人寝の腹鳴り冴えてわびしかりけり》(翌12)
四月、連合艦隊司令長官山本五十六戦死。五月、アッツ島玉砕。九月、イタリア降伏。
《動物園のライオンはじめ、猛獣が、最も懇切なる方法によって処分された、とある。可哀想でならない》(9・3)
《先月二十八日配給のお米が、まだ配給されない。この分では、まだまだ数日は配給あるまいという見通し。いよいよ油断のならぬ事になったものだ》(10・1)だが、空襲の恐怖を未だ知らぬ「帝都の民草」は、飢えてこそいるものの、切迫感はまるでない。
《京王電車の大した混みよう。競馬行きの客で息も止まりそう。喰うか喰われるかの大戦争をやっているというのに、この連中はまあ一体、いかなる所存なのか》(同30)
《静岡駅では芋弁を売っていた。若い、物優しい海軍士官が、それを朝食に物静かに食べていた。売っているのは芋弁だけなのであるから、これを喰うより仕方がない訳でもある》(11・16)
「昭和十六年頃から、お茶の中にうどんの細かく切ったをいれた混麺弁当とか、じゃがいもの賽の目切にしたのをいれた混米弁当とかなどが出始め、そのうち、黒っぽいパンや、お芋そのものの代用弁当が出されたりした」(汽車弁文化史)
《枯野走る学徒出陣列車かな》
戦況いよいよ厳しい。
《ある家に一人の見知らぬ男が来て「酒が一斗ほどある、早く片づけないと規則でよそに持っていかれる、一升瓶を十本すぐ用意してください、きれいに掃除してね。いえ、お金はお酒を持って来た時に頂きます」というので、細君大いに喜び、ていねいに瓶を洗ってその男に渡すと、それっきりになってしまった。つまり、瓶の詐欺だったのである》(同13)
そんなことを記す夢声氏も当然、ヤミ物資に手を出していて、二月某日の夕食は牛すき焼き、飯三杯と豪華版だが、そんな大ご馳走は稀の稀である。
三月、新聞夕刊廃止。四月、特急、寝台車、食堂車全廃。七月サイパン陥落。
《今日の配給の芋は、一人につき一コの割である。そしてそれが四日分の野菜だという。一人が一つの里芋を四つ割りにして、一日分だ。これでは買出し部隊の禁止を叫んでもダメである。東條首相が辞するという噂がもっぱらだが、或いは食糧問題でそんなことになるんではないか、という気がする》(同29)
七月、サイパン島陥落、東條首相退陣。八月、砂糖の配給中止。十月、神風特別攻撃隊出撃。
十一月、B29東京初空襲。
《夕食は甘藷二本――丸々とした水芋である。皮の所々が病気になっている――、それをナイフで削りながら喰う。割合に甘くて結構、とはいえやはり情けない》(11・21)
《火の消えし楽屋に寒し芋の皮》(同28)
《年賀状一本もなき初日かな》
三月、東京大空襲。四月、米軍沖縄上陸。五月、ドイツ降伏。六月、学校授業停止。
八月六日、広島に原爆投下。九日、ソ連参戦。長崎に原爆投下。十五日(晴 暑)正午、玉音放送。
「朕深ク世界ノ体勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ」の大詔に涙した彼は、自室にこもってひたすら眠る。空襲警報のサイレンが鳴ると原爆の放射能よけにレイン・コートを慌ててはおり、焼夷弾と機銃掃射におびえる日はついに去ったのだ。
引用図書:『賢者の食欲』里見真三 文藝春秋
台風17号が右折してくれたら、三日ほど旅行に行ってまいります。よしなに。
