(273)江戸の練馬大根
日本人はズット米を食ってきたように思われますが、米だけはありませんでした。雑穀を混ぜていました。またカテ飯といって大根だとかイモだとかも混ぜております。『おしん』の少女時代も大根のカテ飯ですね。日本人が、食べたいだけ米を食べるようになったのは、昭和36年からだったかと。昭和43年から米は余ってきます。その後は、減反とか生産調整とか、江戸時代からは信じられない事態。もっとも江戸初期と末期では米生産量が二倍に増加しております。
わずかな痕跡は塀の中の人々のお食事じゃないかと。あれは麦を入れないとならない。「矯正施設被収容者食料給与規定」とかの法令で決っている。以前は経済的な理由で麦をまぜていました。現在は健康を考慮してと思われます。どのくらい混ぜるのかは、その時々で異なるそうです。
なんといっても江戸は白米
そんな中で、江戸ではピカピカの白米を食べていました。やはり、美味しかったんでしょうね。白米を食いたさに、農閑期の関東甲信越地方から人々が出稼ぎに。江戸はいつも大火事などの災害に見舞われ、常に追加投資をしているような状態で労働力不足。江戸に行けば仕事がある、真っ白な米が食える、という状態でした。今でいう出稼ぎの方々を群れて移動することから「椋鳥(むくどり)」とよんでいました。大阪でも白米を食しましたが、江戸ほど徹底はしていなかったようで、何がしかの雑穀を混ぜていたようです。
これらの弊害が、ビタミンB1不足による「脚気(かっけ)」でした。当時のことで、原因もさっぱりわかりません。が江戸・大阪を離れるとすぐに治る。江戸、大阪以外では雑穀を食べざるをえず、十分なビタミン、脚気はあっという間に治る。この病気を「江戸煩い(えどわずらい)」大阪では「大阪腫れ(おおさかばれ)」と呼んでいました。
綱吉も脚気に。大根で治した。
五代将軍の綱吉さんも脚気になりました。生母の「桂昌院(けいしょういん)」はもと八百屋の娘です。ピンときたらしく、現在の練馬区内に逗留しまして、大根をたくさん食べさせ治ったとされます。「練馬大根の碑」というのが、練馬区春日町の愛染院(あいぜんいん)参道入り口に。説明を読む限り、脚気の話は何もなく、綱吉さんが尾張から大根の種を取り寄せ、百姓の何某が大根を云々、だけで、タクアン漬けなど明治以降の全国発展の偉業をたたえる碑です。
大根といえば相当に古い。原産地も古すぎて判然としない。春の七草に入っており、スズシロとして愛されます。なにしろ医者要らずといわれたほどの栄養バランス。江戸から現在まで、なくては困る。野菜の巨匠クラスです。
【大根といふ味方あり神無月】 今の時期、神様たちが全員、一ヶ月も出雲大社へ長期出張中に病気したらどうしようか?神頼みの神様がいない。でも、大根があるから何とかなるか・・・といった意味かと。昔は病気になっても神頼みが多かった・・・。
大根はアブラナ科の1年、あるいは2年草目。西暦934年の『倭名類聚抄』にはスズシロとして記載。おおむね一年中収穫されますが、春夏にくらべ、味は断然、秋・冬。大根の辛味は、硫黄を含む化合物からです。加熱すると甘くなりますが、独特のにおいがこの硫黄化合物からしますね。
秋が深まってくると江戸では新蕎麦が出まわり、ベッタラ市が日本橋大伝馬町付近で。十月の十九日ごろですが、現在でも続いています。
【浅漬けをそのまま切って叱られる】
浅漬けとはベッタラ漬けで、コウジを使った大根の浅漬けのこと。ベッタラ市の大根、これは厚めに切るものですが、何も知らない女中さん、そのまま切って叱られ、可愛そうでした。
大根は好まれまして、漬物ですと、タクアン、ベッタラ、カス漬け、味噌漬け、千枚漬け、ヌカ味噌漬け、となんでもあり。風呂吹き、煮しめ、おでん、味噌煮に大根おろしと、食べ方にはバラエティーが多い。なお、一汁一菜といういいかたがありますが、漬物は「あって当たり前」だから計算に入れないとか。ヌカ漬けが脚気を予防します。中でもタクアンが好まれ『守貞謾稿』によりますと、江戸の商家などへは、練馬のお百姓さんたちが、「今年は幾樽」とあらかじめ注文を受け、樽が空になる頃、荷車で届けたそうです。商家は場所がなく狭かったからだそうです。
なぜ風呂吹き?
風呂吹き大根の語源が良くわかりませんで。①大根で風呂を沸かす(鹿児島県の櫻島大根か?) ②不老富貴、を願った説、と不明です。調査の結果、江戸時代初期の風呂は、今でいう蒸し風呂で、蒸した身体を湯女(ゆな)がふーふーと吹いて冷まして垢をこすったのが、熱い大根を食べるよう、との説がありました。【たべもの語源辞典】あともう一歩でしょうか。
香の物
珍しいところでは、香道に大根が登場します。漬物を「香のもの」というのはここからだそうですが、①香道の途中で大根づけを食す。香の物とはもともと味噌のことだそうで、②口臭を消す。 ③大根のぬか味噌漬けをかいで鼻の調子を整えた。とあります。
田中角栄さんの鮭缶めし
元内閣総理大臣、田中角栄さん、忙しい時のサケ缶飯、をご紹介しますと、サケ缶を開け、大根おろしを混ぜてどんぶり飯にドカッとかける。醤油をかけて混ぜ合わせガバガバといただく・・・迫力がちがうような・・・。
高田屋嘉兵衛
司馬遼太郎氏の小説『菜の花の沖』では高田屋嘉兵衛さんをあつかっております。一介の民間業者というか、廻船問屋が、いろいろあって日本を代表しロシアと外交交渉を行い、成功しました。何だかんだありまして嘉兵衛と部下たちは、ロシアのカムサッカに一冬抑留されます。そのおり、自ら持っていた白米を食べ続けたのが不幸で、仲間が何人か帰らぬ人に。とうじ脚気は怖い病気でした。
大根役者の意味も調べたんですが、広辞苑になぜ大根なのかはない。①大根で食中毒をおこす事はまずない。そこで「あたらない」役者を、説が定説です。
大根足ではなく腕だった
大根足という言い方がありますが、万葉集のころから女性が脚を見せるとは考えにくい。実は女性の「白く美しい形の腕」のことみたいです。省略しますが、古い和歌があり【一夜をともにして、腕枕でねたのに無視するってのはないでしょう?】との意味が。
『食べ物文明考』 大塚 滋 朝日選書より
【生き馬の身を大根でうずめけり】
