(281)日本の運命の日
日本は明治維新という国家プロジェクトを、血を流すことなくやり遂げた世界でも稀有な国でしょう。具体的には勝海舟と西郷隆盛との二人が江戸城無血開城させ、かわりに江戸では戦はしない、つまり江戸の町を破壊しないとの約束をしましたが、この時の雰囲気が勝海舟自身の語る『氷川清話』にもっとも雰囲気が正確に伝わる気がします。その部分をご紹介させていただきます。
西郷の大きさ 勝海舟
○ 西郷の大きさについて、維新当時の模様を、もう少し細かに言うと、官軍が品川まで押し寄せてきて、今にも江戸城に攻め入ろうという際に、西郷は、おれが出したわずか一本の手紙で、芝、田町の薩摩屋敷まで、のそのそ談判にやってくるとは、なかなか今の人出はできないことだ。
あの時の談判は、実に骨だったよ。官軍に西郷がいなければ、話はとてもまとまらなかっただろうよ。その時分の形勢といえば、品川から西郷などが来る、板橋から伊地知(正治)などがくる。また江戸の市中では、今にも官軍が乗り込むといって大騒ぎさ。しかし、おれはほかの官軍には頓着せず、ただ西郷一人を眼中に置いた。
そこで今話したとおり、ごく短い手紙を一通やって「双方どこかで出会いたるうえ、談判いたしたい」との旨を申し送り、また、「その場所は、すなわち田町の薩摩の別邸がよかろう」と、こっちから選定してやった。すると官軍からもすぐ承知したと返事をよこして、いよいよ何日の何時に薩摩屋敷で談判を開くことになった。
品川での談判
○当日のおれは、羽織袴で馬に乗り、従者ひとり連れたばかりで、薩摩屋敷に出かけた。
まず一室に案内せられて、しばらく待っていると、西郷は庭の方から、古洋服に薩摩風のひっきり下駄をはいて、例の熊次郎という忠僕を従え、平気な顔で出てきて、「これは実に遅刻しまして失礼」と挨拶しながら座敷にとおった。そのようすは、少しも一大事を前に控えてものとは思われなかった。
さていよいよ談判になると、西郷は、おれの言うことを一々信用してくれ、その間一転の疑念もはさまなかった。
「いろいろ難しい議論もありましょうが、私が一身にかけてお引き受けします」
西郷のこの一言で、江戸百万の生霊(人間)も、その生命と財産とを保つことができ、また徳川氏もその滅亡をまぬかれたのだ。もしこれが他人であったら、いやあなたのいうことは、自家撞着(じかどうちゃく)だとか、言業不一致だとか、たくさんの兇徒があのとおり所々に屯集(とんしゅう)しているのに、恭順の実はどこにあるかとか、いろいろうるさく攻め立てるに違いない。万一そうなると、談判はたちまち破裂だ。しかし西郷はそんな野暮はいわない。その大局を達観して、しかも果断にとんでいたには、おれも感心した。
この時のまだ談判が始まらない前から、桐野(利秋)などという豪傑連中が、多勢で次の間にきて、ひそかに様子をうかがっている。薩摩屋敷の近傍へは、官軍の兵隊がひしひしと詰めかけている。そのありさまは、実に殺気陰々として、ものすごいほどだった。しかるに西郷は泰然として、あたりの光景も目に入らぬもののように談判をし終えてから、おれを門の外まで見送った。
おれが門の外に出ると近傍の街々に屯集していた兵隊は、どっと一時に押し寄せてきたが、おれが西郷に送られて立っているのをみて、一同うやうやしく捧げ銃(つつ)の敬礼を行った。おれは自分の胸をさして兵隊に向かい、「いずれ今日明日中には何とか決着いたすべし。決定しだいにて、あるいは足下(貴殿)らの銃さきにかかって死ぬることもあろうから、よくよくこの胸を見覚えておかれよ」と、いい捨てて、西郷にいとまごいをして帰った。
氷川清話(ひかわせいわ)勝海舟 勝部真長編 角川文庫 昭和56年
