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江戸老人のブログ

この国がいかに素晴らしいか、江戸から語ります。




(283)マラリアが発生するぞ

 

 抗生物質が登場するまでは、病気を克服する薬はきわめて少なく、感染症はありふれた死因だった。感染症を効果的にやっつける化学物質が西洋医学に登場したのは、1630年頃で、日本だと江戸時代の初めだ。
 

 スペイン人のペルー征服者が、ある樹皮が熱病を克服するのに有効だと発見した。で「熱病樹」と名づけた木の皮をヨーロッパに持ち帰ったところ、あっという間に大陸に広まった。樹皮の成分はキニーネである。百年近くの間、キニーネはマラリアの唯一の治療法だった。

 歴史上確かなキニーネのヨーロッパ上陸はだいたい1650年頃で、「リマの熱病樹皮」はローマの病院で使われ、数年のうちに全ヨーロッパに広がり、1677年にはロンドン薬局方に「ペルーの樹皮チンキ」として記載されている。
 

 キナ樹皮をヨーロッパにもってきたのはスペイン人だったが、この人たちが医療での効用を調べたのではない。実は千年も前からペルー人はこれらの知識を持ち、独自の洗練された薬剤処方をもっていた。驚いたスペイン人はこの知識を利用したのである。需要が多かったから1533年の征服の六十年ほどのちには、樹皮などをヨーロッパに持ち帰る定期汽船が運行された。
 

 キナ樹皮とキニーネはペルーを越えて世界に到達するとすぐにマラリアの唯一の治療薬として医学的に重要なものとなった。樹皮の粉そのものが十九世紀まで使われ、1820年にパリ薬科大学の二人の専門家がキナ樹皮からキニーネを分離した。この後、医師は正しく薬を処方できるようになった。

 十八世紀から十九世紀にかけて、アジア・アフリカをヨーロッパ人が植民地化していくのにつれ、キニーネの需要は伸びていった。十九世紀になるとキニーネは供給不足になった。英国領インドでは1850年には9トンのキニーネを必要とした。そのためイギリスはキナの農園を南インドに開いたが、世界的な不足には追いつかなかった。ペルーのキナ樹は増える需要を満たすために手当たり次第に剥ぎ取られ、ついに自然界のキニーネの材料は枯渇した。

 もっともオランダだけがペルーから入手したキナの種子を用いて樹皮がはがせるまで育てその後の何十年かオランダ人は、キニーネの世界市場で独り占めを楽しんだ。

 

 マラリアは人間にとって昔からの疫病で、人類の不幸の中でもっとも深刻なもののひとつである。紀元前2500年の昔に中国ではこの病を知っていた。ほとんどの科学者がわれわれ霊長類の先祖はマラリアに感染していたと考えている。
 紀元前5世紀にヒポクラテスは、マラリアは湿地帯や沼地によく見られると指摘しており、汚染された血を吸った蚊によって伝染される寄生虫病であることは常識であるが、これが明らかになったのは十九世紀の終わりごろだ。
 

 現在のところマラリアの病原体は微小な寄生性のプラスモディウム原虫として互いによく似た四種類が知られている。原虫の違いによって病気の型がことなる。これらの寄生虫
は、ハマダラ蚊の雌によって人間に媒介される。
 

 マラリアは世界一たちの悪い健康問題であり、急死をもたらすタイプもあれば、慢性疾患となるものもある。数年前のWHOの推計では、20億人以上がマラリアにさらされ、うち2億7千万人が感染しているという。年間百万人以上が死亡する。大部分は熱帯のこどもたちだ。地球の温暖化に伴い、マラリアや他の熱帯病が危険地帯以外の地域に広がっている。過去一世紀の間で、最悪のケースは1923年のソ連でのことで、500万人の症例があり、このうち6万人以上が死亡した。
 キニーネがなかったらヨーロッパ人は辺境の植民地でマラリアから生き残ることはなかったであろう。

 

 合成された抗マラリア剤がドイツにうまれた1930年代ごろから事態は変化し始めた。第二次世界大戦中に南アジア、アフリカなどマラリアのはびこる地域で多くの戦闘があり、連合軍はマラリアからの防護を必要としたが、ジャワとそこのキナ農園が日本軍の手中に落ちていたため、キニーネは戦争初期に世界市場から姿を消した。他の場所でのキナ樹の植林は数年を要し、役に立たなかった。軍医当局は新しい抗マラリア剤を求めた。化学者は生物学者の試験に何千もの化合物を提供した。ついに有効な化学的にはキニーネや初期の合成抗マラリア剤にいた化学物質にたどり着いた。これをクロロキンとなづけた。
 1960年代までは殺虫剤DDTとともにクロロキンは効果的だったが、両方ともに体制が現れた。南アメリカの熱帯熱(悪性三日熱)は酷い症状をおこし、致死的だった。クロロキンの治療には反応しなかった。薬物に耐性がある新しいタイプは世界中に広がっていった。
 1961年に減少していたインドのマラリアは原虫の耐性株の侵入で急増し始め、35万症例となり、1970年にはこの数字が倍になり、1971年にはさらに倍となった。1977年には少なくとも三千万症例とする推定もある。熱帯熱マラリアの症例が大きく増加している。
 

 クロロキンが効かないことを知った公衆衛生当局は、キニーネを残された唯一の治療薬として復活させざるを得なかった。しかし20年ものあいだ市場から閉め出されていたから、ジャワの元キナ農園は他の植物を栽培するようになっていた。トン当たりで世界中に出荷されていた自然薬の原料はもはや存在しなかった。復活したキニーネの需要はキナ農園の再興を呼び起こしたが、新農園での取得までは数年を必要とした。
 

 最近は新しい抗マラリア剤もあるが、キニーネは熱耐熱マラリアの治療薬として生き残っている。マラリア原虫の耐性株がはびこっている地域への旅行者はキニーネを選んで予防に服用する。


蚊を駆除しよう
 

 筆者は日本でも近年、マラリアが発生すると予測している。すでにデング熱は広域で勢いを増している。またセアカゴケグモなど、熱帯の生物が入り込んでいる。マラリア原虫も入っているか、やがて入ってくるに違いない。
 

 その場合、キニーネをはじめ、治療薬の準備が必要となる。もっと必要なのはハマダラ蚊の絶滅である。

 実は昭和20年代に南方から復員した日本兵のうち何パーセントかはマラリアにおかされていた。また日本脳炎が流行し始め、官民一致して、蚊の絶滅運動が行われたことがある。蚊はとんでもないところに生息している。動ける日本人を一億人と仮定すれば、一億匹殺虫できるはずだ。缶詰の空き缶、水があるところには必ず幼虫であるぼーふらがいる。いまから始めよう。相当嫌な病気だが、蚊ごときに負けてはいけない。

 


『ヘッピリムシの屁』 ウイリアム・アゴスタ 長野 敬訳 青土社 1997年刊