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江戸老人のブログ

この国がいかに素晴らしいか、江戸から語ります。




(344)鼠の恩返し

 


大蔵永常と言えば世に聞こえた農学者で、三十四種の農書を著し、またやわらかい方では
読み本を作ったことでも知られている。
 その永常の知人に桜井与左衛門という者があった。長崎勤務中に蓄財をはじめ、その後は坂田長門守が大坂奉行だったときに公用人を勤め、それから佐久間備後守の家老になるなどして、結局、四五千両も溜め込んだと言われる。
 

 その後大坂に住みつき、屋敷も立派に構え、交際も多くなり、使用人は男女五人も使うようになった。大和宇多(うだ)の織田家(一万石)に大名貸をして扶持などを貰い、甚だ羽振りが良く、ついには堂上方から養子をとるなど、人に羨まれる身の上になった。しかし、傾くときはまた速く、段々に困窮するようになり、日々の煙さえ立ちかねるほどになった。

 

 すると、ある日飼い猫が鼠を取ってくわえてきた。見ればその鼠がいかにも悲しそうな声を出して鳴くので、ついふびんになり、猫をだまして鼠を取り上げて何か鼠に話しかけて逃がしたと言う。どんな話かわからないが、「油断して猫につかまるでないぞ」などと話して聞かせたのかもしれない。

 

 この桜井の家の右隣に米屋があって、ある日その米屋と桜井の家の座敷縁側に、米が一升ほど置いてあった。不思議に思って取り入れたところ、翌朝も同じ所に一升、毎日変わることなく置いてある。与左衛門は、これは例の鼠の仕業であろうと思った。有難いには有難いが、一日一升ぐらいでは食うだけはあっても、立ち続くことなど出来るものではない。

 

 与左衛門の子分のような者で、前に世話してやった男がある。この頃なかなか仕合わせよく、裕福になっていた。彼が与左衛門への恩返しに、我が家へ引き取って世話をしようと申し出たので、いよいよ明日は引越しと決め、鼠に向かって、「長い間、世話になった。この志は忘れないが、どうにも取り続きが出来なくなった故、明日は此処を引っ越す。それで明日は一升くらいでは不足だから、少々余計にほしいものだ」と、隣の境に行って独り言を言った。
 

 ところが翌朝はなるほど三升ばかり米を置いてあったと言う。まことに不思議な話である。その後、この話がどうなったか、桜井は転宅したし、永常は江戸に出てきたために、どうなったか私は知らない、と話した。文化十三年六月ごろのことである。(巻三)


『江戸巷談・藤岡屋ばなし』 鈴木棠三 ちくま学芸文庫