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江戸老人のブログ

この国がいかに素晴らしいか、江戸から語ります。




(316)『好色一代女』に見る江戸の職業



 

江戸時代に女性がつける職業は、ごく限られていた。井原西鶴の『好色一代女』(1686年刊行)では主人公が三十もの職業・地位を転々としており、彼女の職歴は元禄期の女性の職業カタログにもなっているという。



 『好色一代女』の主人公(以後は一代女と記す)は京の貧乏貴族の娘で、10歳前後で宮中に仕えたところから波瀾の人生が始まる。13歳のとき青侍と恋をして宮中から追放され、まず「舞子(まいこ)」になる。この舞子は江戸の「踊子」とほとんど同じで、11歳から13歳ぐらいの美少女が酒の相手をし、望まれれば床を共にした。両者で大きく違うのは、舞子が朋輩と共に親方に管理されているのに対し、踊子は母(あるいは代理母)がマネージャー役で付き添い、娘を嫁がせていた点である。

 

また年齢は江戸の踊子のほうが二歳前後高い。「踊子」については、江戸で特別もてはやされた。一代女は、14,5歳で、「大名の側室」にえらばれ、江戸に移り暮らす。しかし、若い大名は一代女を愛しすぎて体力を消耗し、そのため家老たちの決断で一代女は解雇され、親元に帰された。そして16歳のとき、京都の島原に身売りする。ここで一代女は「公娼」となる。



 最初は遊女の位の中でトップの「太夫」である。吉原では寛永期に75人もいたが、元禄期には3人(一説に4人)になっている。揚げ代が高すぎて、客が付かなくなったためである。『色道大鏡(しきどう・おおかがみ)』によれば、1678年(延宝六)ごろ、京都島原の太夫の揚代は銀五十八匁、およそ12万円だが、置屋や揚屋の主人・若い者・やり手へのチップや、料理屋、茶屋などへの支払いを含めると、この二倍以上はかかった。



 

一代女はこの後、太夫から「天神(てんじん:銀30匁)」、「鹿恋(かこい:銀18匁)へとランク落ちし、ついに島原から大坂新町へと流れて「端女郎」になる。新町の端女郎には三匁取り・二匁取り・一匁取り・五分取りと四ランクがあり、我らが一代女は、何処まで落ちたのかわからない。最低ランクの一匁取りは約2000円、五分取りは約1000円という安値である。公娼といっても最低となると、岡場所の陰売女より安価なのが沢山いた。



 一代女は、13年目に年季が明けて遊郭を出る。たいていの遊女は年季が明けても、約束している男がいて世帯を持つということにはならなかった。われらの一代女がそうであったように、この後は公娼から「私娼」となる。

 この後の彼女の遍歴は長大だが、次回に表示したい。売春とは関係のないごく普通の職業もいくつかある。




引用本:『江戸の色事仕置き帳』 丹野顕 著 集英社新書