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江戸老人のブログ

この国がいかに素晴らしいか、江戸から語ります。




(347)人生を“かるた”に学ぶ

 


 落語『千早ふる』には『百人一首』という別名がある。なるほど、小倉百人一首(おぐらひゃくにんいっしゅ)の、(ちはやぶる神代もきかず竜田川 からくれないゐにみずくくるとは)(在原業平:ありわらのなりひら)を知っていないと、ご隠居が繰り広げるこの歌の落語の面白さはわからない。

 この噺は江戸時代の成立だから、当時の庶民はこの歌を知っていたことになる。なぜか。それは江戸時代、「百人一首かるた」が流行し、江戸中期には庶民の正月の遊びとして定着していたからだ。(これは現代に続いている)
 

「百人一首歌かるた」の原本にあたる『百人一首』の成立は鎌倉前期、1235年ごろ。『古今和歌集』『新古今和歌集』などの勅撰和歌集から、歌人藤原定家(ふじはら・さだいえ)が100首を選び出した。江戸時代になってこの百人一首をはじめ、さばざまな「歌がるた」が登場する。歌がるたの特質として、歌人の肖像画が添えられていること、上の句と上の句が一対のカードになっていることがあるが、それまでの文学や絵、ゲームが合体してできあがったものだ。

 

 歌人の姿を描く文化ができあがったのは、鎌倉時代だ。平安時代に選ばれた36人の歌の名人・三十六歌仙が頻繁に描かれるようになった。この流れを受け、百人一首の画帖(がじょう)も江戸時代の絵師・狩野探幽や住吉具慶(すみよし・ぐけい)などによって描かれる。絵画だけでなく菱川師宣、勝川春草(かつかわ・しゅんそう)、角倉素庵(すみのくら・そあん)、鍬形慧斎(くわがた・けいさい)などによる版画も作られた。


 かるた遊びは、平安時代に始まった「貝あわせ」が起源のひとつとされる。ハマグリの二枚の貝殻が、自らの対以外にはピッタリはまらないという性質を利用した遊びで、一枚を地貝(じがい)、もう一枚を出貝(だしがい)と呼んで組み合わせた。

 やがてこの貝の内側に、物語を素材にした豪華な絵を描くようになり、貝に歌を書く「貝歌」が生まれる。


 なんといっても、16世紀にポルトガルから入ってきたカルタ(carta=英語のcard)が決定的だった。このカルタにはハウ(棍棒)、イス(刀剣)、コップ(聖杯)、オウル(貨幣)の四種があり、農民、武士、僧侶、商人を表す。四種は、それぞれ1から12まであって合計48枚からなるという。

 この外来のカルタを模した国産カルタが九州の三池で作られ、これを「天正かるた」と呼んだ。この遊びの時に、一の札をピン、十二の札をキリと呼んだことから「ピンからキリまで」という言葉が生まれたという。
 この天正かるたが流行したことで、貝に書かれていた貝歌が、紙製カード、つまり「かるた」に書かれるようになったのではないか、といわれている。「歌がるた」の誕生である。


贅を尽くして花嫁道具に
 歌がるたには、『古今和歌集』『新古今和歌集』『伊勢物語』『源氏物語』そして『百人一首』がある。手書きの歌がるたは、絹地に金砂(きんしゃ)と彩色で絵を描いたものや、ヒノキに金箔で文字を書いたものなど、それは豪華で、上流階級の嫁入り道具に使われた。そんな中で注目を集めたのが、尾形光琳(おがた・こうりん)の描いた「光琳かるた」だ。光琳かるたは百人一首かるたであった。

 

 明和元年(1764)頃には、「たとえかるた」が作られた。これは歌ではなく、生きていくうえで大切な知恵などを文字にしたもの。子供の教育のためではないだろうか。のちに「いろはかるた」と呼ばれるようになり、現代に引き継がれる。「犬も歩けば棒にあたる」というあのシリーズである。これは、江戸と大坂では少しずつ内容が違っており、大坂の「い」は「犬も歩けば」ではなく「いやいや三杯」。「ろ」は江戸で「論より証拠」、大坂では「論語読みの論語知らず」だそうだ。
 

 江戸後期になると、葛飾北斎の「風流源氏歌かるた」をはじめ、「忠臣蔵かるた」「職人づくし絵合わせかるた」「野菜青物絵合わせかるた」など様々なかるたが誕生する。子供から大人まで、こういった遊びを通して、様々な知識が広まったに違いない。


賭博の世界で発展
 かるたには裏面史があり、つまり賭博カードである。賭博かるたには「よみかるた」「かぶ札」「めくり札」などがあった。やがて取締りが厳しくなると、「うんすんかるた」なるものが発明される。天正かるたを変化させたもので、合計75枚だという。「ウン」と「スン」が加わっているが、「ウンともスンともいわない」という言い回しは、ここから来ているそうだ。
 賭博かるたはますます流行り明和・安永・天明の頃ピークを迎える。だが、寛政の改革で全面禁止となった。そこで登場したのが「花札」である。
 

 その後も生き続けた「かるた」から人々は雑多な知識を吸収した。ゲームとしてのかるたは、トランプという遊びで、今日に至っていて、2020年の東京オリンピックへ出場したいと、ブリッジの競技団体から申し込みがあった。欧米ではクロスワードもれっきとしたスポーツなのだ。
 
全体を振り返ってみると、ヨーロッパ文化と平安朝文化が江戸時代に結合して出来上がったのが「百人一首」であり、最も長い歴史を持っている。
 人々に愛され記憶され、落語にもなっている。江戸時代の人々にとって、伝統的な教養と遊びとは、同じようなものだった。百人一首も遊びながら学んだ。現在も非常に多くの日本人が百人一首をたのしんでいる。テレビで放映される百人一首競技は、あたかも格闘技に見える。何百万を超える日本人が、遊びとして平安時代の和歌に接している。


引用本:『江戸っ子はなぜ宵越しの銭をもたないのか?』田中優子著 小学館101新書