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江戸老人のブログ

この国がいかに素晴らしいか、江戸から語ります。




(247)日本妖怪伝・玉藻前 
 

 今から八百年ほど昔の久寿(きゅうじゅ)元年の春、大江山の酒呑童子が退治されて百六十年ほどの頃、鳥羽上皇の御所に、何処のものとも知れぬ美しい遊女が現れたのでございます。たちまち一身に上皇のご寵愛をお集めになりました。
 名を化粧前(けしょうのまえ)と言ってございます。天下に並びなき美女であるばかりか、四書五経(ししょごぎょう)などに通じ、貴族などに故事来歴を問われれば、どのようなことでもたちどころに答える才女でもあったのでございます。
 
 ある日、秋の名残を惜しみ、詩歌管弦(しいかかんげん)の夕べが催されたとき、嵐が吹き荒れ、灯火が消えて暗闇となったとき、院の側に侍っていた化粧前の身体から、不思議なことに朝日のような光が放たれ、殿中を明るくしたのでございます。現代の朝日は大和之国を暗くするだけでございますが、ま、それはそれ、大臣公家は大いに怪しんだのでございますが、院は、「この女は才覚ことのほか優れ、身から光を放つほどであるとすれば、よほど前世で善行を重ねた者だ」と仰せになり、以後は名を「玉藻前(たまもまえ)」と改めさせたのでございます。
 
 院は玉藻前に恐れの念をいだきながらも、その美貌・才覚にひかれ、ついに夫婦の契りを結びましてございます。ほどなく院が病にかかりました。たいした病気ではなかろうと様子を見ていたところ、日ごとに病が重くなるのでございました。院の侍医長に病状を尋ねたところ、「これは尋常でない。邪気のしわざ故、私の手には負えない」と言ったのでございます。実は、院が玉藻前と交わりを重ねるたび、その精気を奪い取られていたのでございました。あたかも大和版吸血鬼でございました。
 
 邪気によるものとのご診断でありましたから、陰陽頭(おんみょうのかみ)の安倍泰成(あべのやすなり)に占わせたところ、「この病は命にかかわる重大なもの、ただちに邪気・物怪(もののけ)を調伏(ちょうふく:やっつけること)するためのご祈祷(きとう)をすべきだ、と申し上げたのでございます。
 上皇に仕えるものたちは驚き慌て、高僧・貴僧を諸寺から集め、七日間の調伏の修法を行ったのでございますが、効果はございませんでした。そこで多くの宿曜師(すくようし:星占い)や陰陽師を召し、なぜ院の病が平癒しないか尋ねたところ、安倍泰成が、恐れながらと進みいで「原因はすでに判っておりましたが、それを申し上げれば院の御心にそむき、私たちが罰せられるかも知れず、申し上げることを控えたのです」と申しました。「遠慮することなくすべてを!」といわれ、泰成は「院の病は化女・玉藻前のしわざである。あの女を除けば病はたちどころに平癒する」と申し述べたのでございます。



 大臣公家たちは、占いの結果を聞いて「そんな馬鹿なことがあろうか。院の病は玉藻前が側にいるときは軽くなり、玉藻前が側を立ち去ると重くなる。玉藻前を除いたら、院の病はどんなに重くなることか」と泰成の占いにあきれ果ててございます。
 
 そこで泰成は事の次第を詳しく申し上げました。「玉藻前は、下野国那須野(しもつけのくに・なすの)に棲む八百歳を経た、長さ七尺(2.1メートル)尾が二つという大狐が変化したもの、生まれは天竺でございます」泰成は次のように説いてございます。「仁王経(にんおうきょう)」によれば、昔、天竺の天羅国(てんらこく)にいた王が千人の王の首を一度に塚の神に供えようとし、九百九十九人の王を生け捕りにし、あと一人というところで、普明王(ふんみょうおう)を捕らえきたのでございますが、首を斬ろうとしたとき、普明王が一日の暇を願い出て、百人の法師をやとい、仁王般若経(にんのうはんにゃきょう)を読ませたところ、首を切ろうとした王はたちまち悪い心をひるがえし、反省し、王たちを送り返したとか。
 そして百人の首を供えようとした塚の神の正体が、玉藻前に化けている狐であり、この狐は「仏法を敵」としつつ、幾百年と生き続け、中国に渡り周の幽王の后となって王の命を奪い、また日本に渡り来て仏法を滅ぼし、王の命を奪い日本の王になろうとしているのだ、というのでございました。しかしこれを聞いても院は、信じようとしなかったのでございます。
 
 院の気持ちもよくわかりましてございます。才色兼備の若い女が毎日声をかけてくれるのでございます。どうしてこれが妖怪と信じられましょうか。こうなるとクレオパトラ、楊貴妃の話みたいで、いにしえより国(城)を危うくするごとき美女を、そのまま傾城(けいせい)と呼ぶのでございました。
 さようなわけで、院の病はますます重くなり、周囲もほっては置けません。そこで評定のすえ、玉藻前に「必ず自分の名を言わせる儀式」をさせることとし、ひそかに実効したところ、あら不思議、玉藻前がスッと姿を消した。「むむむ、やはり妖怪変化なり!」とハッキリしてございます。
 
 その後、この狐を追って那須野へ追っ手が向かい、苦労に苦労を重ねこの狐を射殺したとのこと。死骸は宇治平等院へ収められたとか。これは伝承話とお考えでしょうが、本当の話でございます。この世にあっては美くしすぎ、また聡明すぎる女性は、物の怪と見て間違いないのでございます。魂を抜かれ、ロクなことにはなりません。げに恐ろしきは才色兼備の美女、いえいえ、テレビのテレアナのようなもの、才というべきのもなく美女とはいえず、それはそれはもっと恐ろしいほどの美しさなのでございます。身は滅びましても、魂は滅びず、その後の玉藻前は殺生石(せっしょうせき)との大きな岩となり、旅人をいたぶっておりましたが、あるとき通りかかった曹洞宗の高僧、玄翁(げんのう)和尚が祈祷しますと、石は粉々に砕け散ったのでございます。いまでもかなづちの大きいものを「げんのう」というのは、この和尚様の名前からでございます。ぜひ国語辞典でお調べのほど。
 
 それからひとつ、日本の著名な鬼とか物の怪は、ほとんどが信州の戸隠山に隠れ住んでおります。中社とか奥社とか決して近寄らぬほうがとご忠告申し上げます。最もソバを食べると妖怪も蕎麦、じゃなかった側には近寄らぬとか、ぜひ召し上がってからお近づきのほど。狐狸妖怪の類(たぐい)が、アナタのそばに近づこうと、いえいえ、近づきたいと申しているのでございます。あなおそろしや、急ぎ蕎麦を食べ、妖怪を近づけぬこと肝要にございます。

 むかしの夜は暗く、そのため妖怪が出たそうです。今は明るすぎて駄目。妖怪は筆者の考えでは神道系、恨みがましいのは仏教系ではありますまいか? よく百鬼夜行といいますが、百鬼のなかにはお釜の妖怪、すりこぎの妖怪、まないたの妖怪など、イロイロ台所用品の妖怪がおります。ホントは楽しい日本の妖怪、「出ないかなあ」といってできたのが漫画『もののけ姫』だとか。
 子どもの教育には妖怪がいちばん、そんな悪いことすると、ほら、そこに・・・


参考本:『日本妖怪異聞録』小松和彦著 講談社学術文庫 2007年