(337)『古事記』と『日本書紀』の誕生 | 江戸老人のブログ

江戸老人のブログ

この国がいかに素晴らしいか、江戸から語ります。





(337)『古事記』と『日本書紀』の誕生

 

 『十七条憲法』が制定される頃、中国では隋が唐によって滅ぼされ、さらに七世紀後半には新羅(しらぎ)が百済、高句麗を滅ぼし、朝鮮半島が統一されます。
 東アジアの情勢が緊迫するなか、『十七条憲法』には中央集権化を進めて政権を安定させ、国家の独立を保とうとする目的があったのです。

 

 六四五年に起こった大化の改新で政権交代や遷都があっても、この聖徳太子のつくったシステムは踏襲され、七〇一年には『大宝律令(たいほうりつりょう)』が完成します。
 

 これは唐代につくられた『唐律』『唐令』に基づいてつくられました。

 律令制度の完成によって、国家の体制を整えた日本は、中国や東アジア諸国に、その権威を示そうと『正史』の編纂にかかります。聖徳太子も晩年、曽我馬子と『天皇記国記』に着手しましたが、完成を見ずに焼失してしまいます。

 

 その後、壬申の乱(672)で政権を握った天武天皇によって「正史」の編纂が再開します。天武天皇は舎人(とねり:下級官人)の稗田阿礼(ひえだのあれ)に、神代から推古天皇までの皇室の歴史である『帝記』と、それぞれの氏の伝承である『旧辞』を暗誦しながら学ぶように命じます。
 

 これを太安万侶(おおのやすまろ)が筆録した『古事記』が七一二年に、さらには正史として七二〇年に『日本書紀』という日本最古の歴史書が編纂されます。この二冊は、日本国の公式な歴史ですから、内容には従わざるを得ません。学問的に史料を探して否定しないと否定になりません。

 この二冊を簡略にいうときは、「記紀(きき)」と呼びます。ここに神話が入っていても、公式にはそのままが正しいことになります。あたかも旧約聖書に書いてある、あるいは、コーランに書いてある、というのと同じでしょうか。
 ちょっと前に、どこかの校長先生が、神話を正しいように感じなさい、といった意味の話をされ、「事実と異なることを信じさせる危険が・・・・・・」との批判がありましたが、これは校長先生の態度が正しい。旧約聖書に○○と書いてあったが、事実とは異なると主張すれば、大事件となります。コーランなども同じでしょう。

 そうはいっても、日本人はだれも神話を真実とは思っていないのではないでしょうか。しかし、わが国に伝わる正史ですから、否定するのは学問的態度ではありません。だから「記紀に書いてあります」、が正しい態度になります。

いずれにせよ奈良時代から平安時代初期は、漢字が最高潮に使われた時代でした。


参考図書:『面白いほどよくわかる漢字』 山口謡司著 日本文芸社