(297)日本は一度も王朝交代をしたことがない | 江戸老人のブログ

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この国がいかに素晴らしいか、江戸から語ります。




(297)日本は一度も王朝交代をしたことがない



 


「神話は日常生活に関係がない」と思っている人が多いだろう。しかし、現実には、日本社会は『古事記』『日本書紀』を軸とする日本神話を基礎に成立している。私たち日本人は、日本人である以上、日本神話に拘束されてしまう。

 

わが国は文字のない時代に統一王権が成立し、その後、一度も王朝の交代がなく現在に至っている。文字のない王朝の時代を知るためには、日本神話を避けて通ることができない。そして、正史である『日本書紀』には、「真実」が書かれている。これを前提として、現在の日本国家が成り立っている。日本国民として、最低限『日本書紀』と現代社会とのつながりを知っておくべきではないだろうか。

 

神話が社会の始まりを構成していることは、欧米社会やイスラム社会を見ると、一目瞭然である。『聖書』や『コーラン』なども口伝であり伝承である。日本人にとって神話にどのような意味があり、価値があるかを考えてみたい。




口伝によって語り継がれた日本の建国


 日本各地には、古(いにしえ)より伝承されている数多(あまた)の神話がある。日本人が文字を使うようになると、それらの伝承の多くは文字に書き起こされ、また、文字にならなくても、口伝により伝えられてきた。近代以降は、口伝伝承の一部は民俗学の手法により記録されている。

 口伝により伝承されていることは、基本的なことや意義あること、または重要な事柄ばかりで、おおむね事実を反映していると考えてよい。口伝を非科学的であると否定してしまうと、大切な事実まで否定してしまうことになりかねない。

 たとえば自分の家に「先祖は東北から来た」「先祖は○○藩に仕える家老だった」などという言い伝えがあれば、それは事実である場合が多く、この点についてうそを伝える必要はないだろう。もちろん、多少の誇張はあるかもしれないが、口伝はそれ自体に学問的価値があり、その内容は事実を反映している場合があると考えたほうがいい。建国に関する口伝も同じである。


 考古学の成果によると、日本列島に統一王権ができたのは遅くとも五世紀であり、その王権が畿内で一定の勢力を持つようになったのが遅くとも三世紀前後であるとされる。統一王権が成立したその時代は、文字のない時代であり、固有名詞や日付が伝わらない時代であって、建国の様子を記した一次資料が存在するはずはない。

 しかし、文字がない時代に建国したからといって、まったく何もわからないわけではない。わが国の建国は長らく口伝により伝承されてきた。われわれは口伝、もしくはその記録から日本の建国を知ることができる。


 

 日本の建国は日本各地に口伝により伝承されていたところ、七世紀になって始めて国家によってそれらが文書にまとめられたのが『古事記』と『日本書紀』である(完成はいずれも八世紀)。記紀(『古事記』と『日本書紀』の両方をいう略語)天武天皇の勅命により国家が編纂した歴史書であり、わが国に伝わっている最古の文書である。


 記紀が国家により編纂された事には、重要な意味がある。危機は個人が任意に書いたものと違い、もっとも公式な文書であって、そこに書かれていることは当時の政府の公式見解である。そして当然ながら現在の政府も『日本書紀』の見解を踏襲している。


 当時の政府は現在の政府とまったく別物と思う人もいるだろう。しかし記紀を編纂した七世紀当時の政府から現在に至るまで、我が国は一度も王朝交代を経験したことがない。

現に、七世紀当時の天皇の子孫が、現在の天皇陛下でいらっしゃる。そして古墳時代から現在の日本に至るまで、天皇の任命なくして太政大臣、関白、将軍、内閣総理大臣など、政治の最終責任者の地位に就いた者は一人もいない。もちろん、明治維新前後や終戦前後で統治機構を変更してきたが、国家の連続性が途切れたことは一度もない。

 我が国の建国は口伝によって確実に伝承され、国家によって文字に書き起こされ、記紀に記録された。そして、歴代の政府がこれを正しいものと認識して現在に至る以上、我々は建国を考える上で、記紀を避けて通ることはできないのである。


 


参考:『日本人はなぜ日本のことを知らないのか』 竹田恒康著 PHP研究所