(206)明治・大正・昭和の健康
幕末日本にやってきた外国人画家は、みなさん日本髪のすらりとした女性を描いておりますが、これは想像上の産物みたいですね。当時の女性の身長は二十歳で140cmそこそこでした。猪首(いくび)、猫背、くびれ胴、極端なO脚が多かったそうで、たまに上背のある女性がいると“半鐘どろぼう”(ほれ、火事のときに鳴らす半鐘は高いところにあるでしょ?)などと冷やかされたといいます。
顔の好みは、明治になるとやや幅が広くなり、「色白の丸ぽちゃ」が美人のランクに入ってきたといいます。薄いまぶたのウリザネ顔、軽い受け口というあたりが美人の主流だったとか。小柄な女性が好まれ、大柄は苦手とする男性が多かったらしいのです。
トコロが時勢には争えず、学校などで姿勢をやかましく、背骨をまっすぐにする習慣を叩き込まれた若い世代は、親の身長を乗りこえていったといいます。明治も三十八年(1905)になると二十歳で148センチというところまで伸び、大柄好みになっていったようですね。
ハイカラという言葉はこの頃生まれ、女性の表情も明るくなったらしい。明治時代は、豊満な芸妓が美人の中心だったそうですが、大正になると九条武子、三浦環(みうら・たまき)柳原白蓮(やなぎはら・びゃくれん)、松井須磨子(まつい・すまこ)といった具合で、日本調あり、エキゾチズムありで、嗜好もずいぶん変わってきております。なによりも「単に美人」というだけでは騒がれなくなります。
関東震災後の銀座に出現した“モガ(モダン・ガール)”は風俗革命のノロシで、同じころ職業女性の大量進出で、働く姿の美しさというものが評価されてきます。この点は戦後にも再確認されたようで、当たり前ですが美の基準というものは時代とともに変わるんですね。江戸や明治を懐かしむ人が多いのですが、当時の平均余命が二十九歳以下(推定)だったことを忘れてはいけないでしょうね。これは乳幼児(5歳以下)の死亡率が異常に高かったんです。二十歳以上の成人余命を見ますと、男六十一・四歳、女五十八・六歳でした。
大正初期には、明治時代より乳児の死亡率が上昇(千人中百六十人)、青少年の結核による死者も年間十万人を数えるなど、平均寿命もわずか三十一歳(推定)に低落し、主要国中最低という、有難くない折り紙がつけられました。当時の新聞には「日本人の体質、悪化の一途」「全国工場の結核患者、七割は女子」「内務省が乳児死亡率激増で調査実施」といった記事が掲載されています。
その一方では衛生思想と栄養知識の普及が図られたためか、大正十(1921)年におけるゼロ歳児の平均余命は男四十二・〇六歳、女四十三・二歳まで向上しました。
日本近代文学のテーマには病気、貧乏、失恋が多かったのもこのあたりが影響しているんじゃないか?
戦後は医療水準や環境衛生、栄養水準の向上により、平均寿命は着実に増え、昭和五十年代末には世界最高レベルに到達、さらに平成四年(1992)には、男七十六・一歳、女八十二・一一歳に達し、世界的にも長寿国といわれるズウェーデンやスイスに一歳以上も差をつける勢いとなりました。
「寿命ばかり増えても福祉対策のほうは追いつかず、高齢者社会の重圧がますます重くなり、皮肉だと云々」と書かれた新聞記事を読み、英国人の友が、「この記者は馬鹿じゃないか?」と真面目な顔で尋ねました。世界の本当の情勢を調べておらず、調べようともせずに記事を書いちゃう。『日本人はこういうパターンが好きなのかね?』と英国友は不思議がっておりました。戦争中はどんなに悪くても「勝った・勝った」と書き、戦後はどんなに良くても「悪い・悪い」と書くんですね。
ちなみに英国の医療事情は、たとえば病院へ入院ですと、ミスなどもなくサービスは100%でして、確かに完璧、ただベッドが空くまで待つのであります。そう、ウエイティング・リストがありまして、おおむね6ヶ月から10ヶ月。ガンなどの患者はその間に死んじゃうのでありますが、『それは神様の意志だから・・・』ということになります。医療費は高額だそうです。
国民のすべてが医療保険加入なんてことはありませんで、最新治療を誰でも何処で設けられるのは、世界で日本だけでして世界の羨望を買っているんであります。老齢年金だって、あなた、そんなにかからないですよ、ホントに。人間は贅沢いったら切がないのであります。
若い世代にツケを残すのはいかん、なんて言いますけど、アナタただで死ぬわけにはいかないんです。相続税というのがあります。持っている財産はみな次の世代に行きますな。公共事業なんかで道路つくると次の世代が使うんです。日本の老人はそれほどだらしなくない、大丈夫であります。オホン!日本の高齢者の銀行預金残高の総額を知るとビックリされると思います。
引用本:『20世紀モノ
語り』 記田順一郎 創元ライブラリ