(205)武士道といふは
「武士道といふは、死ぬ事と見付(みつけ)たり。二つ二つの場にて、早く死ぬほうに片づくばかりなり。別に仔細(しさい)なし。胸すわって進むなり。図に当たらぬは犬死などといふ事は、上方風(かみがたふう)の打ちあがりたる武道なるべし。二つ二つの場にて、図にあたることのわかることは、及ばざることなり。
我人(われひと)、生くる方がすきなり。多分すきの方に理(ことわり)がつくべし。もし図にはづれて生きたらば、腰抜けなり。この境 危(あや)ふきなり。図にはづれて死にたらば、犬死気違(いぬじにきちがい)なり。恥にはならず。これが武道の丈夫(じょうぶ)なり。
現代訳
武士道の本質は死ぬことだと知った。つまり生死二つのうち、いずれを取るかといえば、早く死ぬほうをえらぶということにすぎない。これといって面倒なことはないのだ。腹を据えて、よけいなことは考えず、邁進(まいしん)するだけである。
“事を貫徹しないうちに死ねば犬死だ”などというのは、せいぜい上方(かみがた)ふうの思い上がった打算的武士道といえる。
とにかく二者択一を迫られたとき、ぜったいに正しいほうを選ぶということは、大変に難しい。人は誰でも、死ぬよりは生きるほうがよいにきまっている。となれば、多かれ少なかれ、生きるほうに理屈が多くつくことになるのは当然だ。生きるほうを選んだとして、それがもし失敗に終わってなお生きているとすれば、腰抜けとそしられるだけだろう。この辺が難しいところだ。
ところが、死を選んでさえいれば、事を仕損じて死んだとしても、それは犬死、気ちがいだとそしられようと、恥にはならない。これが、つまりは武士道の本質なのだ。とにかく、武士道をきわめるためには、朝夕くりかえし死を覚悟することが必要なのである。常に死を覚悟しているときは、武士道が自分のものとなり、一生誤(あやま)りなく御奉公し尽すことができようというものだ。
対比の章(中で必ず反対の事を述べています。)
人間一生まことに纔(わずか)のことなり。好(す)いたことをして暮らすべきなり。
夢の間の世の中に、すかぬことばかりして苦を見て暮すは愚かなることなり。
『葉隠聞書』という本は、もともと座談の筆記でした。元禄十三年(1700)佐賀の藩士山本常長(やまもと・じょうちょう)という人が、仕えた主君、鍋島光茂(みつしげ:第二代藩主)が亡くなったあと、出家して、人里はなれた佐賀の黒土原(くろつちはら)に、草庵をむすんで隠遁生活にはいりました。追い腹といって、主君のあとを追って自分も死ぬことを堅く禁じられたためでした。
それから十年後の宝永七年(1710)の春に若い佐賀藩士、田代陣基(たしろ・つらもと)が、山本常長の草庵を訪れ、その語ることばを筆記し、七年の歳月をかけ十一巻に編纂したものです。これを『葉隠れ聞き書き』と呼ぶことになりました。山本常長はその筆記を火の中に投じて焼けと命じましたが、田代陣基は命令にそむいて密かに保存していました。
いつとはなしに佐賀藩士の間で筆写され、それが「鍋島論語」などとよばれて尊重されるようになったものです。
この本の中核をなすのは、結局、第一巻、第二巻の【山本常長】自身の教訓の言葉で、彼の思想が躍動しています。常長は、出家して隠遁生活に入って二十年後の享保四年(1719)、六十一歳で世を去りました。
これをどう読むかは、それぞれ人によって違います。現代のわが国の平均寿命は史上かってないほどに延び、人生には単調な人生プランが描かれ、青年が小さな幸せを捜し求めているうちはいいとしても、いったん小さな幸せが見つかると、その先には何もない(三島由紀夫記)風潮があります。あるのはソロバンで弾かれた退職金の金額と、労働ができなくなったときの、静かな退職後の、老後の生活だけで、理由のない不安感に苛まれます。
日本は歴史上最高の繁栄を享受していると筆者は思いますが、そうなると、国は何処であれ福祉国家というものの背後には、理由がない不安という、よく分からない雰囲気がつきまとってきます。それでも筆者は小さな幸せを「善し」とする立場ですが、それは違うと考える方もおられるはずです。
いずれにせよ「武士道」に代表される【昔の哲学】を読んでみることは、無駄にはなりません。きっかけとなればとご紹介します。
老人となれば、【死】を教養として学んでおくことが重要になってきます。ホントは嫌ですがしょうがない。若い方は時々、老人はいつも、といったほどでしょうか。身の回りにある幸せの大切さは、なかなか気づかぬものです。
