(154)『中国奥地紀行』(全六回掲載・その1) | 江戸老人のブログ

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(153)『中国奥地紀行』(全六回掲載・その1)

 
イザベラ・バードが記した『中国奥地紀行』を読むと百年以上を経た現在と変わらぬ中国の姿が浮かび上がります。ここから現・共産党中国の将来像が見えてくるはずです。長い著作なので全6回に分けてご紹介させていただきます。ご退屈するかもしれませんが、何か感じるものがあるはずです。

 

 イザベラ・バード女史は、日本では明治初期に北海道へまで旅した英国女性との印象が強い。『日本奥地紀行』が面白いのは勿論、女史を理解するには、このような印象から離れるのが望ましいという。
 四十六歳~四十七歳での日本への旅(『日本奥地紀行』)はとても貴重な記録で面白いが、十二~六十九歳までの、半世紀におよぶ旅行のひとつに過ぎないと訳者・金坂清則氏が解説文に書かれている。
 
 イザベラ・バードが訪れた場所をランダムにあげてみると、アメリカ・ニューヨーク、イタリア、アルジェリア、スペイン、ポルトガル、カナダ、オーストラア、ニュージーランド、サンドイッチ諸島(ハワイ)、ロッキー山脈馬の旅などで、ジョン・マレー社から『サンドイッチ諸島の六ヶ月』を出版、雑誌『ネイチャー』や『スペクテイター』などで絶賛された。

 オーストラリア・次いでロッキー山脈の旅行記を『レジャー・アワー』に連載、1878年日本への旅を計画した。そして『日本奥地紀行』も絶賛を浴びる。また日本の帰りがけにシンガポールを訪れている。その後、カイロ、シナイ半島、などを旅した。単なる女性旅行者と考えるとこの旅行家の重要性を間違う。イザベラ・バードの政治情勢への視線は鋭い。
 
 旅先から手紙を出していた妹を失い、その翌年に結ばれた10歳年下の夫、ジョン・ビショップも結婚後五年で失っている。夫の死から丸三年になったとき、夫の夢だった医療伝道病院をカシミールに実現した。
 57歳の彼女は、1889年2月に地中海経由でカラチに上陸し、カシミールに向かった。次に標高4000メートルを超える小チベットに転じた。チベットについては『チベットの人々の中で』(1893)を出版している。
 

またペルシャ(現・イラン)を軍人のソウヤー(後に英国の総理大臣・外務大臣)と共に旅行した。これは英国が望む情報収集旅行だったという。一年十か月ぶりに英国に戻り、『ペルシャ・クルディスタン』を出版した。帰国後は政界へも人間関係が広がる。男性しか認められない王立地理学会特別会員に推挙された。また1893年にはビクトリア女王に拝謁している。
 またアフリカにも足を伸ばし、イスラム世界を訪問している。このような彼女の関心のあり方が、激動の一世紀を過ぎた現在も役割を失っていないことに驚かされる。
 

英国を三年以上も留守にして行われたのが、中国と朝鮮への旅だった。日本に出入りしながらで、日本を我が家のように思っていた。四十歳以降の三十二年のうち、海外の旅に直接費やした期間だけでものべ八年以上に及んでいる。しかもこの間に旅行にまつわる著書・論文の執筆や講演活動などに時間を費やし休むことがなかった。

1895年のクリスマスに朝鮮を離れたイザベラは、上海に至り、揚子江流域とその奥地を訪ねる旅を開始する。危険と隣り合わせの【三峡】などを、鋭く細やかな観察を行い、また暗室などがない舟上で、なんと揚子江の水を使って「写真の現像」までこなしつつ、揚子江をさかのぼった。万県で舟旅を終えると、いよいよ本領が発揮されていく。
 


敵対的な住民からの攻撃に何度も遭遇し、「洋鬼子」とののしられるだけでなく暴力を振るわれ後頭部に投石を受け失神したこともある。かようなひどい怪我をおいながらも陸の旅を続けた。旅の後半では、官憲の妨害を突破して、4000メートルの峠を越え、中国人・漢族の世界のはるか彼方まで到達、蛮族の地などという言葉では表現できない素晴らしい世界の存在を知った。チベットなど西部への「中国の領土的野心」を喝破している。身長140センチほどの慢性病を持った65歳に近い老女が、まことに鮮やかな詳細な記述を重ねていく。

 体調、食料、同行者の病など様々な理由でチベット近くで引き返すが、距離にして陸旅二千キロ、舟旅千六百キロ、合計で一万キロを超える旅で、期間は三ヶ月におよんだ。

上海にたどり着いたイザベラは、六月末に日本に向かった。アーネスト・サトウの中禅寺湖畔の別荘などに世話になりながら、朝鮮についての執筆や、中国での写真の整理などを行った。母国での生活よりも東洋での生活のほうが好きになったという彼女が帰国した時には、出発から三年と二ヶ月の歳月が流れていた。
 以上により、揚子江流域の旅が、実に正確な資料として現在も役立つ。彼女と同じコースで旅した者は、おそらくその後もいないはずである 


 筆者が驚くのは、イザベラの推理力の正確さだ。あたかも現在の中国を記述しているかのような錯覚に陥る読者が少なくないはずだ。彼女の歴史観、政治情勢の分析などは誠に読みが深い。賛否はともかくも示唆に富んだものといえる。その点で資料として価値が高いが、どこか優れた文学になっている気がする。おそらく「奥地シリーズ」のうちで支那編は最高の評価を受けてもいいのではないか。

  

 訳者の金坂清則氏は、これら朝鮮・中国の旅が、おそらく彼女だけの意思ではなく、英国情報機関の意思が絡んでいると推理しているが、実は筆者も九百ページ近くを読み通し同じことを感じた。そう考えるとペルシャの旅では、後の「総理大臣兼外務大臣」と共に旅をしている理由など、あるいは突然の「アイルランドへの旅」などに合理的説明がつくのだ。もちろん仮説に過ぎないが、彼女のさまざまな分析があまりにも正確すぎるのだ。

 

 【興味を引くエピソード】と【結論】と名づけたイザ ベラの中国分析を順番にご紹介します。久しぶりに読み応えのある旅行記でしたが、少し長いので、6回に分けてエントリさせていただきます。
 また写真を使用した旅行記は、世界で初めてのものとされる。金坂清則氏の和訳が正確で、キッチリ した日本語になっている。興味をもたれた方はぜひ原本のご通読をお勧めする。(長い文章だから適当に編集しています。) 

 ご理解の上読みいただければ幸いです。



参考本:『中国 奥地紀行』イザベラ・バード著 金坂清則訳 東洋文庫 平凡社 2002年刊