(152)船と食と躾け | 江戸老人のブログ

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この国がいかに素晴らしいか、江戸から語ります。





(152)船と食と躾け

 

 草野丈吉(1840生まれ)は安政4年にオランダ人の家に住み込んで洗濯や料理見習いをして青年時代を異国人の中で暮した。やがてオランダ領事デヴィッド家のお抱えコックとなるが、このとき領事は丈吉をオランダ軍艦に乗せ、箱館、江戸、横浜を見せながら、軍艦でのオランダ料理を学ばせた。
 

 この草野丈吉が文久三年(1863)に長崎で生家を改造し、小さな小さな西洋料理店を開いた。六畳間に酒樽二つを置き、張り板二枚を渡してテーブルとし、白布をかけて徳利に花をさして食堂を造った。わが国最初の西洋料理店である。

 代金はフルコースでお一人様金三朱というから、現代に換算するとおおむね一万八千円で、まぁそんなものだろう。長崎のグラバー亭敷地跡に【洋食発祥の地】と記念碑が建っているらしい。オランダ領事は、料理の特訓に軍艦を使った。チャントした船にはちゃんとした料理がつき物なのである。

 

 明治18年(1884)に日本郵船が誕生した。郵船はフランスから一流シェフを招き、あるいは優秀な人材をフランスへ行かせるなど、フランス料理のレベルアップに力を入れた。明治29年(1896)には欧州航路を開設、土佐丸(5402トン)をイギリスから購入した。四本マストの客船を国民は非常に喜んだという。次第に世界に誇りうる客船を建造しては世界の海に送り込んだ。

中でも太平洋航路はドル箱航路だったという。この頃になると料理人はすべて日本人となり、欧州航路で修行した腕きき調理人を太平洋航路に配した。設備、料理、清潔度、乗組員の規律とマナーのよさで高い評価を得た。一、ニ等はフルコースの洋食で、チョイスができた。和食のオーダーもできた。三等は和食を出したが内容は非常によかったという。


造船のほうは明治三年(1898)年に国産第一号の常陸(6172トン)を三菱の長崎造船所で造っている。長崎三菱では九十九隻目だったが、六千トンクラスは初めてだった。英国との間にちょっとしたトラブルがあったが、これにより日本の造船技術の高さが世界に証明された。
 日露戦争のとき、日本郵船は徴用を経験する。七十三隻を御用船として国に徴用された。民間船の七割が郵船のものだった。
 シアトル航路の信濃丸(6388トン)も徴用され仮装巡洋艦となった。明治三十八年五月二十七日早朝、信濃丸は朝鮮海峡を日本海に向うロシア・バルチック艦隊を発見した。東郷大将が故国に打電した「敵艦見ゆとの報に接し・・・。」この「報」を発信したのが信濃丸だった。


 話がそれた。

 

 日本郵船は料理の質向上に熱心だった。司厨士(船の調理師)養成所をつくり、パン焼きから古典派正統フランス料理まで細心の教育をしたという。当時のフランス人シェフの給料は、日本の総理大臣より高かったとか。
 その結果「当時はメシが旨かった」と誰もが言ったという。戦前の日本客船で特筆すべきは、郵船も大阪商船も、食事が変化にとみ、和洋中の各国料理のほかに、デッキのすき焼きパーティなど催し物も多彩であったという。
 世界の喜劇王、チャップリンが来日するとき、わざわざ指名して氷川丸に乗船した。このとき各国の船会社が名優をわが社の船に、と争奪戦を演じたが、チャップリンは日本船の食事にバライティがあって美味しいこと知っていた。チャップリンは天ぷらが大好物だったという。喜劇王の実態は無口で、キャビンにこもり読書ばかりしていたらしい。それでも郵船のサービスと食事には満足したという。

 

 ちゃんとした客船は食文化と同じく、長い時間を共にするから楽しい旅には人間関係が重要となる。ところで最近の高校生などは、躾がなっていなくてどうしようもない。食文化で著名な伊東梛子(いとう・なぎこ)氏は教育者でもあるが、国際感覚を持った大人に育てようと、一週間ほど生徒たちを国際航路の客船に乗せてしまうという(カリブ海クルーズ)。
 

 学校では耳を貸さなかったのに、すべて西欧人に囲まれると、さすがに素直になるそうで、乗船初日はパーサーらが、生徒たちのだらしない格好と態度に頭を抱え込むらしいが、「マナーとはお辞儀を繰り返すことではなく、他人の邪魔をしないこと、ルールを守ること。船のレストランは大衆食堂とは違う。食事が終わったからといって、サッサと自分だけ席を立つことはマナー違反。テーブルの皆が終わるのを待ち「シー・ユー・レイター」とか挨拶をして席を立つ。

 ウエイターたちは生徒より年上者だから、生徒のほうから「サンキュー・ベリーマッチ」あるいは日本語の「有難う」と感謝の声をかけてから席を立つ。話すときは相手の目をまっすぐに見て話す。目をそらすのは失礼になる。レディー・ファーストは必ず守る。服装と歩き方はキチンとする。姿勢が悪いと駄目だ。外国人客は皆キチンとしているから見習うように。」とマナーのイロハからいって聞かせるそうだ。

 

 素直な気持ちは持っているのに、いままで躾をされたことがないから、客船に放り出され、自分がどうしていいのかわからない。具体的に話すとその晩から違ってくるという。
 二日目に、パーサーが飛んできて、みな素晴らしい若者です。服装も態度もキチンとしてきた。食堂でのマナーも素晴らしく良くなった。ウエイターたちが大喜びしています。と伝えてきたそうだ。
 大勢の生徒の引率は神経をすり減らすばかりでクタクタになる。もう中止しようか止めようかと思うが、帰国後、生徒たちのレポートに「得がたい体験だった。人生勉強になった。参加してよかった。」等々の文を読むとやはり続けようという気になるそうだ。

 

 客船をしつけの場、マナー特訓の場に選んだことは間違いがなかったが、他の船客への迷惑がこわい。乗船初日はおずおずとしていた若者たちは、馴れてくると明るい笑顔でのびのびと振舞っているそうだ。船客たちも好意の笑顔と眼差しで見守ってくれる。今の若者は納得がいけば即、実行してくれる。

 失敗談がひとつあり、男子生徒たちがグループで喧嘩したことがあり、当事者は船の留置場に叩き込まれたそうだ。「喧嘩は一対一で、素手でやるもの、集団で喧嘩とは許しがたい。」との船長判断だったという。
 

 船では船長がすべての法律となる。船には病院もあるし棺おけまで備えていることはあまり知られていない。留置場はもちろん武器だって備えている。
 留置場からは出すが生徒全員が四階以上は船内の出入り禁止処分、これは下船まで続いたそうだ。激しやすい性格の生徒指導は難しい。よって退学処分にしたほうが生徒全体のためと船医から忠告されたという。厳しいところは厳しい。


日本といった特殊社会でのみ通用するマナーではなく、世界に共通する心の持ち方、躾け、マナーを身につけ、これからの人生を他人さまに迷惑をかけることなく、本当の意味で自分自身のためになる歩き方を身につけてもらいたいと切に思っている、と結んでいる。 
 韓国までいって土下座するごとき馬鹿な旅行は若者を駄目にする。カリブ海とか地中海豪華客船クルーズなど、ディナー・ジャケット(制服があれば制服が正装)の着こなしなど、またもし国歌などが演奏された場合、胸に手を当て直立不動、敬意を示さぬとアウトというケースもあり得る。いずれにせよ優れた客船の中は西欧文化が続いている。国際的にキチンとするには、費用は別としていい方法かと思えた。



参考本:『船が運んだ日本の食文化』伊東梛子著 調理栄養教育公社刊

      1998