(135)もっと江戸を楽しむために
江戸時代の身分には、士農工商があったとされますが、現実には
①武士階級 ②武士以外の二つの認識しかありませんでした。ただ、武士身分と、百姓・町人身分のなかで、さらに「身分内の身分」といった【階層の差】がありました。
「百姓身分」や「町人身分」ですと、これは単純でして、百姓ならば耕地を所有する【①本百姓】と耕地を持たない【②水呑み百姓(みずのみ・びゃくしょう)】とに分かれます。また町人であれば町屋敷を持つ①【地主】・あるいは【家持(いえもち)】と②【店借(たながり(借家人)】とに分かれます。そうはいっても時代が下ると耕地や町屋敷は売買できましたから、この身分は固定されたものではありません。
その一方で、武士の身分階層はちょっと複雑ですが、単純に言うと、①上士(じょうし) ②平氏(へいし) ③下士(かし) の三つの身分に分かれます。幕府も藩もこの「三つの身分」を基本にして組織を作っていました。
【上士(じょうし)】とは、藩であれば、①家老、②組頭(くみがしら)などを務める家柄です。家老とは藩によっては「①奉行、②用人(ようにん)」などとも呼ばれました。「【家老】=【奉行】or【用人】」となります。
大きな藩ですと一万石以上の領地を持つ家老がいたりします。これに対し、小藩では五百石ぐらいでも家老となりました。こういう話は、各藩の台所事情でありまして、あくまで【上士】は【上士】なのであります。
次に、組頭(くみがしら)というのは、【平氏(へいし)】を束ねる「上級家臣」のことでした。組頭から家老に出世することも良くあったので、【家老と組頭】は同じ身分だったと分かります。
【上士】は【領地】を持っておりました。領地とはそのままの意味ですが、知行(ちぎょう)ともいわれました。そこから取れる米の半分ほどを与えられます。すなわち、【領地=知行】となります。この【知行】とは、「領地から年貢(ねんぐ)を取り立てる権利」をいいますが、年貢だけではなく「領地の農民を使役」することがOKとなっていました。
つまり【領地持ち武士・知行武士】-【上士】=【平氏】 となります。石高ではたいてい百石以上でしたが、小藩ですと五十石ぐらいでも【平氏】でした。【平氏】とは本来は騎馬の「格づけ」をあらわすもので、【組頭】に率いられ、藩主の馬のまわりにいて護衛にあたることから、【馬廻(うままわり)】ともいいます。つまり(【平氏】=【馬廻】)となっていました。
こんどは、【平氏】の身分がどのくらいのところか? は【知行=領地】の額で示されます。だいたい【百石取りの武士】であれば「鑓一筋(やりひとすじ)の家」とされ、【鑓持ち(やりもち)】を従えて合戦に従軍する格式の武士でした。
鑓(やり)というのは、れっきとした武士が使う【鑓(やり)】を意味しまして、足軽が持つ【槍(やり)】とは違うものとしていました。「同じ武器」でも持つ者の身分によって漢字表記が違いまして、拵え(こしらえ:出来上がりの様子)も違うものとしていました。刺されれば痛いのは同じと思うのですが・・・・・・。
違うのは【知行=領地】を持つのが本来の武士で、蔵米を支給される武士は格下だ、ということだったのです。
②中期以後は官僚としての仕事が主、能吏が求められます。特に幕末になって黒船が来航、身分など考えている余裕がなくなります。「優秀なのは何でもいいから・・・・・・」となった。
③武士階級の組織は「米本位」で構成されますが、江戸は次第に貨幣経済が盛んというより沸騰いたします。このあたりが「もともとの武士組織=軍事組織」と、社会の「現実」とがどんどん乖離していく江戸期なんですが、こういった時の流れにかかわらず、皆さん結構楽しくやっていた、まあ、時代の面白さがあると感じております。
引用図書:『江戸の組織人』山本博文著 新潮文庫 2009年刊