(133)世界のトイレ事情  | 江戸老人のブログ

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この国がいかに素晴らしいか、江戸から語ります。





(133)世界のトイレ事情 

 世界人口はおよそ65億人、そのうち26億人のトイレがない。日本を始め先進国に住む多くの人は、トイレのある生活を当然と思っている。トイレがなければその辺で用便するしかない。途上国では、下痢が原因で15秒に1人の子供が死亡している。その90%が糞便で汚染された飲食による。幼児がたくさん死ぬから、その分たくさん子供を産む。
 広いアフリカの原野なら大丈夫 と思うかもしれないが、世界のスラム街は、半分以上は都市に存在、しかも急激に拡大している。すると都市のそのあたりがすべてトイレとなる。サハラ砂漠以南のアフリカに住む少女の三人に一人がずっと学校に行っていない。理由は劣悪なトイレ施設のためだ。タンザニア、インド 、バングラディシュで学校にきれいなトイレを設置したところ、入学者が15%増加した。どう劣悪かは、諸氏の食欲をなくさせるからと恐れて書かない。

 

 日本では1960年代まで、トイレは汲み取り式、町でバキュームカーを見かけることが多かった。畑の片隅には「肥溜め」があり、中で糞尿が発酵、中心温度は摂氏70度近くになっていた。これで回虫など危険なものはすべて死滅するはずが、完全ではなかった。列車が走っているときあけた窓から例の臭いが入り込んできた。「田舎の香水」などと呼んたが、それほど気にはならなかった。江戸時代から日本では代金を支払って糞尿を汲み取り、これを発酵させ肥料とし、河川へは糞尿を流さなかった。貴重な資源として高価になりすぎ、幕府にナントカしてくれと願うほどだった。ゆえに衛生環境は世界で最善の状態だった。ちょっとは臭かったがしょうがない。
 欧米は糞尿を下水に流したから河川が汚れ、伝染病が流行した。長崎の出島に医師として勤務していたケンペルさんが江戸まで旅行したが、「最高のシステムで清潔でちょっとばかり臭い」と旅行記に書いている。

 

 1970年代から水洗トイレ、すなわち下水道・汚水処理場設置が国として急がれ、おおむね完了した。一時は河川も汚濁して臭かったが、多摩川でアユが、利根川で鮭がとれるまで回復した。

 

 インドの初代首相であるジャワハルラール・ネールは「すべての市民が清潔なトイレを使える国こそ、もっとも発展した国である」と述べた。
 日本がどれほどの国か、ご納得いただければと、世界の注目を集めるわが国独自のトイレ事情、TOTO とINAXおよびパナソニックが生産販売する温水洗浄便器の話を書かせていただく。イギリス 女性ジャーナリストが書いたものをご紹介する。使い方がわからぬ外国人が多く、日本国内の高速道路のサービスエリア・トイレには英語・朝鮮語・中国語が書かれている。上の乗ってまたがる図に×印がついている。

 

 ほんの60年前ほどまで日本は汲み取り便所の国だった。人々はしゃがんで用を足していた。後は紙を使っていた。(筆者が幼い頃は新聞紙を適当な大きさに切り、よく揉んで使った。)ビデが何かも知らず、気にもしていなかった。現在では日本で製造される和式トイレは全体の三パーセントに過ぎない。日本人は腰掛けて用を足し、温水で洗い流し、好みによって温風で乾燥、冬でも便座は暖かくて当然と思うようになった。
 
 TOTO は水まわりの機器製造業者としては、世界のトップ3に入り、2006年の総売上は四十二億ドル、従業員は二万人、日本のトイレ市場の三分の二を独占し、国内に七つの工場を持ち、世界の十六ヵ国に進出している。
 この会社は、ウォシュレット の販売によって日本語に新たな一語をつけ加え、人々にトイレの新しい使い方を提案した。私(イギリス 女性ジャーナリスト)は東京のテクニカルセンターを訪問した。ここは小奇麗で、建築家と共同で水まわり空間を作るための展示場。バスルームの見本がキラキラ輝いている。

 便器がずらりと並び、私が通りかかると自動的にフタを上げる。歓迎の挨拶をしてくれるようだ。写真撮影は禁じられている。日本のトイレ産業は競争が激しい業種で、業界のトップ3、TOTO ,INAX,パナソニックはそれぞれの企業秘密を絶対にもらすことはない。開発分野の見学はすべて丁重に断られた。世界最大のトイレ製造会社TOTO の創業は1917年、陶器を扱っていた創業者が、日本の水洗便器を造ろうと思いついたのが始まり。

 最初は売り上げが伸びなかったが、第二次世界大戦後、アメリカ 軍が日本国内に駐留するようになると、母国で水洗トイレに慣れていたアメリカ 兵が下水道設置を強く求めた。その後の四十年間にTOTO の便器は急激に販売数を伸ばし1977年には、しゃがみ式より腰掛式便器を使う国民のほうが多くなった。

 

 トイレの習慣は、世界で大まかに二つに分類される。湿式(水で流す)と乾式(水を使わない)で、「水でキレイにするか紙をつかうか」だ。インドパキスタン では水を使う。排泄後に局部を洗い流すための、ロタ(小さな水差)の水が必要だ。19世紀に「ヨーロッパ 人は紙で局部を拭く」と言う話をインド 人は信じようとせず、「ひどい悪口」だと考えたそうだ。日本はトイレ習慣に関しては拭く文化であり洗う文化ではない。しかし毎日の入浴の習慣や、衛生や礼儀に対する厳格な考え方からすると、日本には洗う文化も存在する。清潔・清浄を保つことは神道の教えのひとつである。ヨーロッパの人々のように、身体を洗わずに湯船に入るなど、日本人には考えられない。
 

 かって日本のトイレは4Kの場所だった。「汚い」「臭い」「暗い」「怖い」である。1970年代後半、TOTOウォシュレット の販売を考え始めた頃、温水洗浄便座が受け入れられる下地はあまりなかった。

 TOTO は、日本国内で1600の特許 をもっている。海外では600の特許 を得ている。TOTO がG(ゴージャス)シリーズを発売したのは1980年頃の話だから、私がどんなに素晴らしい製品なのかを欧米の友人に説明しても、まったく理解されなかった。

 最高級商品の話をすると(ネオ レスト)トイレ設備とコンピュータ機能がこの上なく見事に融合した豪華な商品である。日本では二十二万円、アメリカ では五千ドル(50万円)の値がついており、それだけの価値がある。なぜならネオ レストは頭脳をもっている。一週間で持ち主の生活習慣を記憶し、それに合わせて便座の温度を調節する。持ち主がなにを望んでいるかも機械が判断する。尿の中の糖分を調べ糖尿病警告 を出す。体重を測定する。便器は「セフィオンテクト」つまりナノ レベルのイオンバリアがついて、汚れがつかない。もしクレヨンでいたずら書きしてもサット取れる。

 

 これらの技術はどうやって確立されたか? この質問に担当者は「うーん、うちには二万人の従業員がいますから・・・」とだけいった。技術者は最初、男性の肛門の位置を正確に知る必要があった。ビデの改良では女性の二つの部分の間の正確な距離が必要となった。これは難しい。女性がいるところで、しかも裸でいるところが望ましい。かくして場末のストリップ劇場に白羽の矢が立った。ここに世界レベルの技術者たちが集結した。この話なしでは、TOTO の驚異的な成功はなかったのだが、この話をイギリスのパブでさりげなく友人に話すと、周囲の人々がみんなで耳をそばだて、笑いをこらえるのに苦しそうだった。

使い勝手などは女性社員が手を上げて自主的に協力してくれたそうだ。

 

 日本内閣府 の調査によれば、1995年までに、日本の家庭の23%がウォシュレット ・トイレを所有するようになり、その10年後には2倍、すなわち46%がウォシュレット を使っている。酔っ払ってトイレに行っても、自動的に電灯が灯る。前に立つとフタがあがり、終われば閉じてくれる。忘れても構わない。音楽も聴くことができる。自動的に 水音が鳴り響き、音のプライバシーを守る

 男性用小水便器は離れると自動で水が流れ、身体障害者用では さなくてもチャント感知して流してくれる。ありとあらゆる機能が用意され、「無駄ではないか?」というのはこの国のトイレ業界の厳しい競争を知らない。

 日本高速道路公団では、現在トイレの改善を急ぎ、原則としてすべてのトイレが清潔で快適な空間となった。また日本では公衆トイレでもトイレットペーパーがいつも用意され、世界から羨望を買っている。

 


 アメリカ 人やイギリス 人はウォシュレット にあまり興味を示さない。しかし確実に広がってきている。また中国では凄い人気になっている。歌手のマドンナが日本に来たとき、「あの暖かい便座が使える」と語ったが、こういうことには時間がかかるものだSA RS問題が発生し、医師たちの国際会議が東京で開催された。航空機にも装備が始まり、最近のボーイング787には設置してあるそうだ。世界の医師たちが「今すぐこれを持ち帰りたい」と全員が希望した事実は案外知られていない。


引用図書:『トイレの話をしよう』ローズ・ジョージ著 大沢章子訳 NHK出版 2009年