(117)あゆを食ふ江戸を食ふ | 江戸老人のブログ

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この国がいかに素晴らしいか、江戸から語ります。


 


(117)あゆを食ふ江戸を食ふ
 

サケ亜目アユ科の淡水魚で、海から川に入って、動物性の餌をとらず、冷水では珪藻土、温水では藍藻(らんそう)を餌にする。この香りのよさから香魚ともいう。四国の四万十川、地元の方の話では「昭和35,36年頃に比べれば、アイ(アユ)は50分の1・・・いや60分の1になってしもうたのう。アイの手づかみをやったといっても信用せんやろ?魚は上流を向いて登ってくるけん、足で流れを止めて、水に手を入れてとったもんじゃ、川の中に入ると脚に鮎がずうん、ずうん、とぶつかってきた。」『いのちの食紀行』立松和平著「四万十川の永遠の命」から。

 四万十川では、むかしは、なんと地引網で捕獲する方もいたというが、にわかは信じがたい。その他、投網、鵜飼、友釣り、どぶ釣り、コロガシ釣り、ヤナなどさまざまな工夫がある。このうち友釣りは、アユが一平方メートルほどの縄張りをもち、これを侵す他アユに激しい攻撃を加える習性を利用したもの。
 
 鮎は川の中流・下流で産卵する。稚魚はすぐに海へ下り、動物性プランクトンを食べて冬を耐え、春を待って川を上るうち、身体も海水から淡水用へと切り替わる。体長10センチを超すと、餌も植物食に変わり、川底の石につく藻類をたべる。ちなみに琵琶湖の鮎は海へ下らないから、体長10センチメートルを超えることはなく、コアユとよぶ。歯の形まで平らに変化し、岩についた藻をこそぐように食べる。秋が近づくと自分の親が産卵した場所へ戻り産卵するといわれる。
 
 産卵後の鮎は「落ち鮎」として川を下ることになるが、美味くない。秋の落ちアユの姿は、元気な若アユのときと比べ、うらぶれた姿が人々の心を打ったらしく、俳人は「さびあゆ」などと呼んだ。それでも人間と川鵜(カワウ)海鵜(ウミウ)が待ち捕食する。獲った落ち鮎は、囲炉裏(いろり)の上に吊るし燻製にして保存した。もちろん食べるが、多くは保存用ダシとして常用した。一年で一生を終えることから「年魚」ともいうが、2年、3年、生きる鮎も多い。怖いのは冷水病という感染症、漁業関係者がイロイロ手を尽くし守っている。

 鮎は関西の重要魚で、冬にはこれに鰤(ブリ)が加わる。対して東国の重要魚はサケとなる。なお「鮎」と書くと、中国語ではナマズのこと。神功皇后が三韓遠征のとき「新羅に勝てるなら魚が釣れよ」と、戦勝を占った事から「魚ヘンに占う」で鮎にしたと伝わる。ナマズのほうは「鯰」の国字(日本独自に作った漢字)を作りバランスをとった。
鮎を古くは国栖魚(クズウオ)とよび大和の吉野地方(国栖(くず))から宮中へ贈られていた。さしみ、あらい、酢の物、素焼き、塩焼き、青竹筒焼き、石焼、魚田(魚の田楽)てんぷら、鮎めし、甘露煮など。また内蔵と卵巣は塩辛にし「うるか」とよぶ高級珍味になり、日本酒に合うという。生臭くないため西日本では保存食とし、相当好まれたはずだ。
 

元禄時代の『料理物語』には、鮎の一夜鮨の作り方がある。現在の鮎鮨は、塩と酢でしめたアユをすし飯の上にのせ、形を整えた即席の姿ずしが多く、本当の「あゆの馴れずし」は和歌山県南部で、祝日などに作られる。
 好みだが、鮎の調理は、蓼酢(たてず)をかけた塩焼きが最も旨いといわれる。これだと養殖アユでも十分いける。植物のタデが手に入りにくく、小瓶に入った「たで酢」を買うのがコツだろうか。小瓶で販売しており、名称はそのまま「たで酢」京都市中京区新町通丸太町下ル。「株式会社木村九商店KIK.」)別に宣伝しているわけではないが、やはり自分ですり鉢を使ったほうが旨い。タデを専門に育てればかなりの売り上げが期待できよう。別名「青酢(あおず)」ともいい、何の魚にでも合うと、江戸のはるか前から続く。鮎という魚、極めて日本的と感じる。


 ヨーロッパでは見たことがない。おおむね水温12度から20度まで、清涼渓流にしか住まない。鮎を食べることは、日本の上質な水を楽しむこと、日本食文化の秘密にふれることであり、世界でも、相当贅沢、ぜひ初夏の日本の味をお楽しみいただきたい。
 私の恩師は強めに火を通し、頭から尾っぽまで、すべて食べる。「お前たちは、そういう風だからイカン!」が、夏の訪れ、現在93歳、よく呑みよくお食べになる。


俳句季語は夏。香魚も同じ。 

 【焼き鮎に箸を短く使ひけり】 山田六甲