朝鮮国王の誓い
イザベラ・バード女史の『朝鮮紀行』講談社学術文庫から記述を引用します。李朝末期の真実が浮きあがってくるようです。
引用323P
1895年1月8日、わたしは朝鮮の歴史に広く影響を及ぼしかねない、異例の式典を目撃した。朝鮮に独立というプレゼントを贈った日本は、清への従属関係を正式、かつ公に破棄せよと朝鮮国王に迫っていた。
官僚腐敗という積年の弊害を一掃した彼らは(日本国は)国王に対し、【土地の神の祭壇】「社稷壇(しゃしょくだん)」前においてその破棄宣言を準正式に執り行って朝鮮の独立を宣言し、さらに提案された国政改革を行うと宗廟(そうびょう:祖先をまつるところ)前において誓えと要求したのである。
(注:社稷【しゃしょく】:昔の中国で建国のとき天子・諸侯が壇を設けて祭った土地の神と五穀の神)国王は嫌がってなかなか約束しなかったし、また式典執行におびえていた(先祖のたたりを恐れた?)と続きますが、
引用同ページ
しかし、井上伯爵の気迫は祖先の霊を凌駕し、北漢山(ブッカンサン)のふもとのうっそうとした松林にある、朝鮮で最も聖なる祭壇において、王族と政府高官列席のもとに宣誓式は執り行われた。(中略)国王の宗廟誓告文のあと、国政改革のための洪範(こうはん:模範となる法)十四カ条は以下のごとくだった。
1. 清国に依存する考えをことごとく断ち、独立のための確固た
る基礎を築く。
2. 王室典範を制定し、王族の継承順位と序列を明らかにする。
3. 国王は正殿において事を見、自ら大臣に諮(はか)って国務
を裁決する。王妃ならびに王族は干渉することを許されない。
4. 王室の事務と国政とは切り離し、混同してはならない。
5. 内閣【議政府】および各省庁の職務と権限は明らかに定義さ
れねばならない。
6. 人民による税の支払いは法で定めるものとする。税の項目を
みだりに追加し、過剰に徴収してはならない。
7. 地租の査定と徴収および経費の支出は、大蔵省の管理のも
とに置くものとする。
8. 王室費は率先して削減し、各省庁ならびに地方官吏の規範
をなすものとする。
9. 王室費および各省庁の費用は毎年度予算を組み、財政管理
の基礎を確立するものとする。
10地方官制度の改革を行い、地方官吏の職務を正しく区分せ
ねばならない。
11. 国内の優秀な若者を外国に派遣し、海外の学術、産業を学
ばせるものとする。
12. 将官を養成し、徴兵を行って、軍制度の基礎を確立する。
13. 民法および刑法を厳明(げんめい:厳しく明らかなこと)に制
定せねばならない。みだりに投獄、懲罰を行わず、なにびと
においても生命および財産を保全するものとする。
14. 人は家柄素性に関わりなく雇用されるものとし、官吏の人
材を求めるに際しては首都と地方とを区別せず広く登用す
るものとする。
以上の項目が日本側の要求する国政改革として宣誓されましたが、逆にいうと、当時、朝鮮の現実はこの正反対でした。つまり刑法や民法はなく、官吏の勝手気ままが通っており、主権者が誰か不明でした。もはや国家の形態はありませんでした。
また国王の父(大院君:1866年2千人の朝鮮人カトリック教徒を虐殺した)と王妃は、勝手に国政を動かしていました。
これに対し、イザベラ・バード女史は「1895年当初においてはこのような結論が正当だったのであり、同じ結論に達したわたしは、井上伯爵のように申し分のない権威に(朝鮮が)擁護されていることをうれしく思う」と書いています。
宣誓がすべて実行されていればと思うのですが、朝鮮の現実は低くすぎるレベルに留まっており、そうはならなかった。
朝鮮が日本は残酷とする国王の妃、閔妃(ミンビ)暗殺事件のあと、日本は列強からそれほど非難されていません。閔妃が行った権謀術数はあまりに酷く、たとえば閔妃一族をほとんど高官へ優遇、日本公使館焼き討ち事件や袁世凱との関係など、列強公使たちが事件の原因を良く知っていたことが理由と思われます。次には、日本だけでなく、列強の公使らが深く大きく関っていたことがわかります。日本だけで何かできるような環境にはなかったことがわかります。
教唆犯とされた三浦梧楼(みうら・ごろう)子爵は広島裁判所で証拠不十分で無罪となっていますが、日本の裁判制度は1891年の大津事件(ロシア皇太子を傷つけた犯人に死刑が望まれ、児島惟謙らが法定刑に死刑がないとして、無期刑を言い渡した。大変な勇気といわれましたが、実はすべての裁判官が同じ考えでした。)のわずか4年後で、かなり緻密な裁判がおこなわれたはずです。この事件には諸説があり、いまだ不明確です。なお当時の朝鮮の残虐さは東学党の乱など、残虐さの基準がちがいます。
引用364P―
王妃暗殺からほぼ一ヵ月後、(中略)各国公使たちは井上(馨)伯に、(中略)朝鮮独自の軍隊に国王が(国民の)信頼を得るだけの力がつくまで日本軍が王宮を占拠するよう勧めて、事態を解決しようと試みた。日本政府がいかに列強外交代表者から非難を受けていなかったが、この提案からわかろうというものである。
しかし井上伯は日本軍が武装して王宮を再度占拠するというやり方は、国王の身の安全を確保するという目的のためとはいえ、重大な誤解を受けやすく、またきわめて深刻な紛糾を招きかねないと考え、即答を避けた。(中略)ところが日本(政府)は井上伯と新公使の小村(寿太郎)氏が二人して働きかけたにもかかわらず王宮占拠を行わず、(中略)国王は軟禁されたままだった。
なかでも日本の干渉を最も強く勧めたのはロシア公使なのであるから、日本が各国公使の提案を受け入れていれば、現在のようにロシアが朝鮮に対して圧倒的な影響力を持つような事態も避けられたのではあるまいか。
たしかにロシア政府は訓練隊を武装解除させて国王を守るよう日本にはっきり要求したのである。その要求を断った日本政府がロシアに干渉を許してしまうことになるのも身から出たさびといわざるを得ない。 引用終了。
やはり日本は王宮占拠を好まなかったのかもしれません。やはりロシアとは戦う運命だったのでしょう。女史とは違った考えを筆者は持っています。各国の公使たちは、国王とその父親、が布告と詔勅をドンドン出す、つまりコロコロ変わるため手を出す国がなかったためと想われます。「勘弁してくれや!」というのが正直な感想だったでしょう。
国王は父親からのテロを怖れロシア公使館に女官に守られ、密かに逃げ込みます。
ロシア公使館から妙な布告を出すいっぽう王宮からも父親の太院君が布告を出す。王妃は犯罪者にされたり、翌日は第一側室に格上げされる。どこの国もつき合いきれなかったのでしょう。しかし国王がロシア公使館で一年以上執務を執るとは、もはや国としての態を失っていました。
引用本:『朝鮮紀行』イザベラ・バード 時岡敬子訳 講談社学術文庫
