(44)すき焼き・煮る?焼く? | 江戸老人のブログ

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この国がいかに素晴らしいか、江戸から語ります。



すき焼き・煮る?焼く?

 

横浜から東京に広がった牛鍋には①「上等」と②「並等」があったそうです。「上等」は鉄鍋で上肉を焼き、タレをつけて食べる。「焼き鍋」とか「すき焼き」と呼ばれました。一方、「並等」は、鍋で並肉とネギ(五分の長さに切ったのでゴブと呼ばれた)を一緒に煮込む。これが「牛鍋とか並鍋」。明治七年に上等が5銭、並等が3銭5厘。「煮る」と「焼く」で上と並とに分かれておりました。肉はサイコロに切り、味噌で煮る。焼く場合は「どびん」から割り下をいれ、焦げ付きを防いでおりました。現在も横浜の「太田縄のれん」で当時の味が楽しめるとか。味噌はもちろん「江戸甘味噌」です。
 

 関西では、ふつう半分まで「焼鍋」として楽しみ、あと半分をザクと一緒に煮る 「すき焼き煮」としたらしい。もうひとつ、三重県松坂の老舗「和田金」のすき焼きは、肉をすべて焼き、すべてを食べちゃった後、残った汁で野菜などのザクを煮て頂く。両方とも生卵と淡口(うすくち)醤油を使う。焼く、煮る、独立分離方式です。混乱してきたでしょ?

 整理しますと、すき焼きのはじまりとされる牛鍋に「並等」と「上等」があったため、関東には「①焼く調理」と「②煮る調理」の二つが、加えて③関西の両方楽しもう方式があり、④肉はさっさと頂き野菜などは後からゆっくりの分離方式がありました。

 さて、異なった食文化の地に引っ越しても自分たちの調理法はキッチリ守り意地を通します。昔は女性が譲りましたが、最近はキッチリ自己主張。さあゴタゴタが始まる。そんな訳でその家の主人が鍋奉行となり、指示に従うのが日本国憲法というか、不文律であります。 
 

 一般的に牛肉は焼いた方が旨い。煮込む場合はサシがないとウマミが逃げます。霜降りの牛肉が欠かせないのは、短時間煮込む和式調理法からです。これを薄くスライスする。英語だと「紙のように薄くスライス」といいます。(Paper-thin Sliced)。この切り方は欧米にはありませんで、日本人の皆さん海外滞在中は、冷凍庫で凍らせ、なんとか薄く切るなど苦労されています。外国でスキヤキパーティーを開き、現地のお客様が固唾(かたず)を呑んで見守るところ、肉に砂糖をかけたらビックリ仰天し「そんなのありか?」と。あるんだもん。
 

 北海道では豚肉があたり前との話です。何も知らずに京都に嫁入りし、お姑さんから「今夜はすき焼きに・・・」といわれ、ためらわず豚肉を買い込み騒ぎに。今も文化摩擦はあるらしいんです。どうもすき焼き問題には豚肉も忘れてはいけないようです。
  
豚肉は遅かった                                       
 日清、日露戦争で牛肉のカンヅメ(やまと煮)が兵隊食となり、牛肉が品薄になったことがあります。で、ブタ肉も食べるようになる。和牛は最低でも30ヶ月なのに、ブタは六箇月、ニワトリは六十日とか。

 ブタ肉をハムに加工する技術は、英国人ウイリアム・カーチスさんに教わり、これが有名な「鎌倉ハム」になります。日露戦争でロシア捕虜が六万人も出まして、捕虜の食料としてハムを大量に食べていただく。少数派のハムがいっきに台頭しました。その後、第一次世界大戦、ドイツ人捕虜を四国の板東(ばんどう)などに収容、徳島の方々といい関係になります。ベートーベンの『第九』が初めて演奏された地ですね。この時、正確なハム製造法をカール・ヤーン氏から習った。これが、のちの「ローマイア」になりました。


モンゴル父親の仕事
 モンゴルなど牧畜文化では羊を屠り、家族へ切り分けるのが父親の証(あかし)。羊をひっくり返して押さえ込み、腹部を刃物で10センチ程切り裂く。そこから肘まで手をさし入れ、横隔膜を破り、心臓まで手をのばして大動脈を指でちぎる。無用な苦痛を与えない方法とか。血液は栄養価が高いから胸腔内にためて後で血のソーセージに。日本人は魚を食うのが得意で、頭から尾っぽまで食べますが、彼らも羊をすべて食う。「すべて食って食文化」というそうです。 
 だいたい脂だけ利用、後は捨てていた米英なんて、捕鯨禁止?よくいうよなあ・・・ままま。元・国立民俗学博物館で食文化の石毛直道氏は、地球人口増加などにそなえ、日本人はもっと「羊肉」を食べる習慣をと指摘されています。


以下はおまけ情報・・・お急ぎの方は無視してください。
 

1.鉄板焼きルーツ
 大東亜戦争直後の神戸で、アメリカ兵がその筋女性と食事に。あたりは焼け野原、レストランなんてない。で、屋台のお好み焼きへ。女性がおごらせるんですが、アメリカ兵は、お好み焼きなんてニチャニチャしたものは食えない。屋台の亭主が、「牛肉だったら食うだろうか?」と。これが大受け。「この料理は何というのか?」ときかれ、とっさに「鉄板やき!」と答えた。すると、「Oh, Teppan―yaki !」となってドンドン広がり、最後はアメリカ本土まで。この屋台「みその」という名前でした。

2. ホルモン
 ホルモン焼き、というのも終戦直後ですが、名前の由来は関西弁では、放るもの、つまり捨てるもの、と言う意味から→ 「ホルモン」とありますがどうかねえ?。日本人は食べ方をしらず捨てるか肥料に。これを夜中に掘り出した在日の方が食べ「掘るもの」からとの説も。実際にこれでタンソ病発生の報告があります。昭和12年に大阪心斎橋近くのレストラン「北極星」が「ホルモン煮」という内臓料理を商標登録しています。ただし記録抹消されており、検証不可能。(検証不可能説は宮崎利雄氏による。)
 
3.徳川綱吉の生類憐みの令を完全無視の対馬藩
 「生類哀れみの令」という酷い法律がありましたけど、この真っ只中、長崎県の対馬ではイノシシの被害がひどく、ただでさえ米が獲れないのに島民が苦しんだ。陶山訥庵(すやま・とつあん)という家老、腹がすわった方で、大規模な石垣をつくらせました。
 で、ここにイノシシを追い込んで捕獲した。とうぜん食べたでしょうね。次第に石垣を全島に広げ、十年計画で数万頭を駆除、イノシシを壊滅させました。こういうのは、世界でも珍しい。対馬には、今でも猪垣(いがき)という石垣が残っております。対馬の観光ホームページに写真があります。
                             了