(26)幕末に刺身が好きな異人がいた | 江戸老人のブログ

江戸老人のブログ

この国がいかに素晴らしいか、江戸から語ります。

 
突然に食が異なる地域へ赴任しろ、といわれても人間の精神はそれほど頑丈でないから、何処となく精神のバランスを失う。先日、書かせていただいた万延元年のボウハタン号による遣米使節団77名も、そうとうな量の日本食材を持参した。
 日本を訪れた欧米人も、条件は全く同じで、相当に苦労していた。それでも日本食はいいと気に入った外国人もいる。今回は相手側つまり欧米側の苦労話も記します。そうはいっても学問的ではなく、欧米人の記述を、孫引きしてご紹介します。
 
 最も長いこと日本に滞在したのは、おそらく長崎出島のオランダ商館員たちだろう。ケンペルやシーボルトなどドイツ人も医師として紛れ込んだが、それでもヨーロッパと日本の食文化は違う。もっとも苦労したのは、食肉だったという。
 1820年から29年まで出島に勤務したフィッセルによれば、日本では食肉を得るために屠蓄することがなかった。狩猟で得た猪肉を料理することはあるが、豚は食べない。ただ唐人(シナ人)とオランダ人に供給するため飼育されたという。中国人は肉といえば豚肉のことだそうで、つまりご馳走だがオランダ人にとっては、豚肉は牛肉に劣る食肉だった。たとえば、米人のヒュースケン(オランダ人だったが早くに米に帰化している)は、「豚なんて田舎者の食べ物!」と侮蔑している。牛肉への渇望は強かった。
 
 なにしろ冷凍技術などなく、バタビア(現・ジャカルタ)経由の燻製や塩漬けで我慢していた。
 フィッセルが日本人から聞いた話として、長崎の中国人は黒犬や猫を食べること、広東ではネズミさえ売られていたことをあげている。「机以外の四足はすべて食べる」との話を知っていれば驚くこともなく、フランス人も同じではなかったかと。
 日本でも薩摩では犬を「オノコロ飯」といってよく食べた記録があるし、会田雄二氏によると、高知の学生に部屋を貸すと、裏庭に猫の頭が転がって困る」と語った記録がある。韓国の若い友人が夏の暑い日、電話がかかってきたといい新宿方面へ嬉しそうに出かけ、翌日満足した顔をしていた。東京秘密ルートも知っているが、取材源は明かせないのであります。

 
 万延元年の遣米使節団77名は、食材はもちろん、箸・茶碗・湯のみ・急須・鍋・釜にいたるまでと、賄い夫まで同行したが、毎年、長崎から江戸城へ出頭義務があったオランダ出島商館ご一行も、ぶどう酒・その他の飲み物・バター・チーズ・燻製または塩漬けの肉・珈琲・砂糖・香料・砂糖漬け果物、その他日本で入手できぬもの、もちろん料理人も同行、食器類を納めた食器棚、食卓・椅子まで携行したという。国が違っても人間はみな同じということだろう。
 『グレタ号日本通商記』のリュードルフは、下田日記にたまたま下田に入稿したアメリカ船バーメット号から、塩漬けの牛肉と豚肉のタル、馬鈴薯、酢、胡椒、辛子、玉ねぎ、珈琲、生きている大豚二頭を購入したと書き、こういった食べ物はここ四ヶ月食べていなかったと告白している。
 
 アメリカ領事のハリスも、安政4年(1857)6月の日記に、ここ2ヶ月以上も小麦粉・パン・バター・ラード・ベーコン・ハム・オリーブ油など、あらゆる種類の洋食材を食べつくし、「米と魚と貧弱な鶏」で生活していると嘆いている。ハリスの秘書官ヒュースケンは同じ年の9月の日記に、この五・六ヶ月、鳥肉しか口にしなかったが、下田で子豚を入手、ポークチョップを食べることができた、とその喜びを自嘲を込めて記している。前に、「豚肉なんて田舎者の食べ物!」と書いていたからだ。

 食材が入手できたとしても、西洋風に料理できる料理人がいなければ何もならない。ハリスは下田から江戸に出発するにあたり、あらかじめ5週間をかけ、日本人の料理人に西洋料理を教えた。これで「レストランとは行かぬが日本料理よりはるかに自分の味覚に合う料理を旅行中ずっと作ってくれた」と得意げに記している。どんな料理だったか不明なのが惜しい。
 

 不思議なことだが、外国人の記録を読んでも、味噌・味噌汁および豆腐に関する記述がない。登場する調味料は、醤油と塩だけである。理由はわからない。

 外国人側も、日本食が苦手という者だけではない。正式の日本料理の場合もあるし、また庶民的な日本食もあろうが、日本食への感想としては「盛り付けが美しい」とか「食べるのが勿体ないほど美しく、芸術的といえる見事な盛りつけの料理もある」と記しているものが多い。
 文久元年(1861)から翌年にかけ、日本各地を旅したスイス人リンダウは「上手な板前は、目を楽しませる技をもっている。また極めて清潔である」と記している。金沢の旅籠で出された食事にも何一つ嫌悪感を持たなかったという。
 スエンソンは横浜の屋台の鮨屋で見かけた「握りずし」に、何ともいえぬほど美しいと魅了されている。

 近年は諸外国でも和食が世界遺産としてブームになっているが、幕末から明治初期、欧米人が敬遠する食べ物は、納豆と刺身だった。ところが日本の開国期に、すでに刺身を美味いと書いた欧米人がいて、日本側も勝手な思い込みをしてはいけないようだ。
 
 フィッセルは、カツオ酒か醤油に浸し、「辛子(わさび)」をつけて食べると大変に美味だ、と記している。つけ加えて、格別に美味しいものとして、「非常にたくさんの生焼けのビフテキのできるあの生のカツオ」というのだから、刺身というよりタタキに違いない。また米も褒め、漬物や上手く料理した魚や鳥とともに食べると、米は「美味しく安全な食べ物」と記述している。
 この人は「普段の日本人の食事は質素だが、宴会だけは費用を惜しまず豪勢と見抜いている」そうはいっても刺身を生で食べることに不安を覚える外国人もいた。カッテンディーケは幕府海軍伝習所のオランダ側教官だったが、薩摩で空腹だったので日本料理を美味しく食べたが、マグロの刺身を「食べてみたが別条なかった」と記している。現代でも海外旅行中の食中毒発生は多いから不安だったろう。

 
 一方、オイレンブルグ一行のように生の鮭を醤油で食べ、その美味なことに感激し、「これはいかなる食通にも勧めることができる」とべた褒めの人たちもいた。脂肪分の多い肉食になれた外国人には物足りないのではないか?と思うが、デュパンは、「日本料理はシナ料理よりゴタゴタししておらず美味であった」と、意外なことを書いている。
 これとは違うがリンダウは、横浜郊外の金沢八景の旅籠で夕食をとったとき、塩味が濃すぎるので薄くしてもらったとの記述があるそうだ。日本側の塩味は濃いものだったらしい。

 この本の著者、石川栄吉氏は、文化人類学者だから、現地の人々と出されたものを一緒に食べることになるが、正直いって「運を天にまかせる」と書いておられる。

 凄いのが日本通のアーネスト・サトウで、鞠子(まりこ)の宿でトロロ汁をたべ、三島ではうなぎの蒲焼を食べ、草津では米飯を豪快に食べる姿に、宿の者たちが驚いている。サトウは正月には雑煮を食べ、屠蘇も飲んだと書いている。日本も欧米も、お互いにおっかなびっくりの異文化接触、双方ともに決めつけはいけない。そういえば、日本人の乗員のうちボウハタン号で出されたソーセージが美味いと誰かが書いていたと思った。


参考図書:『欧米人の見た開国期日本』 石川栄吉 風響社 2008年