「誰を信じるか」

母が昨年12月に他界してから、父はすっかり閉じこもるようになった。

今日も実家に帰ると、父はただただ母の話をし続け、合間に社会やテレビの中で起きているどうでもいい現実に悪態を吐く。

こんな世の中なんてもうどうでも良く、早く母の元に行きたいと思ってるのかもしれない。

医師は、外に出るな、自転車はダメだ、階段は登るなと父の行動を束縛する。心臓が悪いから、いつ倒れるか分からないからだろう。

だから、父はどんどん外に行かなくなる。灼熱の外には確かに出て欲しくはないが、歩かなければさらに身体は衰える。

ところが、車に乗せてスーパーマーケットに連れて行くと、いつまでも買い物をしている。疲れた様子はない。

不思議なものだ。やはり医師が人を病にするのだ。それは母や友人達で十分経験済みだが、やっぱり、そうなのだ。

医師など、つい最近知り合った他人だ。たとえ長くても、週に数分間話すだけの知り合いだ。

その程度の人に、自分の健康や命を決められたくはない。

話を聞いてあげると、息も上がらず、ずっとしゃべっている。不健康そうに見えて、健康なのかもしれない。

誰を信じるか。

それは、権威や資格や職業で決まるものであってはならない。

最終的には、自分自身がどうありたいかだけを信じれば良いのである。

おやすみ。