「偏って生きる」

憂鬱である。このところ、記事を書く気分にならずにいた。

人は優しくない。酷く悲しくなる。

熱海の土石流の報道は消えてしまった。山頂の開発行為は殺人行為に変わることがある。

北杜市に住む頃、何度もメガソーラーについて行政に掛け合ったが、まともな回答はなかった。

311。原子力緊急事態宣言はどこに行ったのか。未だに解除されていない。

復興五輪の名の下、9000億円の税金が投入される。福島の除染は1000億円に満たないというのに。

五輪は開催された。選手たちは政府とウイルスに翻弄されながらも全力を尽くす。

放映権料を支払うメディアのために、無観客試合と緊急事態宣言で国民の脚を奪い、 TVに釘付けにしようとする魂胆なのだろう。

選手たちのスポーツの政治利用は許されないが、政治家は許されるとでも言うのか。

感染拡大と煽り、オリンピック開催は危険だと警告していたメディアは日本選手の活躍報道に躍起だ。手のひら返しにも程がある。

製薬会社のCEOに頭の上がらない政府。国民の信頼を取り戻すには製薬会社の力に頼るしかないのか。

ワクチン接種に反対する者の主張はデマ扱いし、推進者の単なる思い込みは事実として取り上げる。

今のmRNAワクチンは、残念ながらワクチンと呼べるものではないと僕は思う。

過去のコロナウイルスに対し、人は自己免疫により共存してきた。ワクチンなどなく、自己解決してきたからこそ共存ができている。

しかし、今回の遺伝子ワクチンにより、その共存関係は破棄された。この先、ウイルスはどのような態度に出るかは未知である。

そして、人の免疫機能の行く末も未知となった。

この現状を見て、呑気な記事を書く気になれないのは理解してもらえるだろう。

今、僕は何をすべきなのだろうか。

向かい風に向かって進むべきだろうか。それとも吹き付ける風を避けるべきだろうか。

2:6:2の法則を考えてみる。

蜂や蟻は2割は必死に働く。6割はその働く2割の動きに合わせてただ動き回る。そして残りの2割は先の8割とは違う動きをするか待機する。

植物は2割が勢いよく芽吹き、そして育つ。6割は様子を見ながらゆっくり芽吹き、育つ。残りの2割は芽吹かず待機する。

何故か。

先の2割の選択が間違いであった場合、虫たちは全滅する可能性がある。だから2割は逆らう。

植物の病気が蔓延しようが、あるいは洪水があろうが、2割の植物は生き残る。

人も同じである。だから僕は残りの2割になる選択をする。

もし、人類が完全に間違った方向に向かい、そして天変地異があったとしても、自分は生き残るために。

そう心に固く決めたら、あとはその決意に従うだけである。絶対にブレない。

自給の道を広げる。住処を変え、生き方を変える。

そして、嫌なものは拒否し、信じるものだけを受け入れていく。それでいい。偏っていようが。

おやすみなさい。